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オートバイと女性の美を‥‥‥って

オートバイと女性の美を‥‥‥って
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多分,原宿でオートバイカフェをやっているというFB友達が「オートバイと女性の美」をテーマに11月に展覧会(いろんな作家が集まって)をしたいから、ぼくにも出せと要望された。
出展の意思を明確にはしていない。
オートバイとは縁が切れて久しいから、思い入れが減っている。
オートバイも難しいけど,取り合わせが女性と言われると尚更難しい。
でも,彼はいい人だし、断る理由もないし、なんて考えている。
アルミニュームのてかるバイク部品と,女性の女性たる体の部位とを対比したら‥‥とか常に考えている。
具体的に頭に構図が浮かばないから少し焦っている。
ま〜、思い悩むより描き出したらいいのじゃないか。そう思って構想というか、馴染むようにというか、描き出した。
これは,ぼくが以前持っていたイギリスのクラシックで、BSA441VICTORというスクランブラー。
いいバイクだった。
町田のとある人が,どうしても欲しいと言って無理やり奪っていった。
なかなかエンジンがからず、掛かったら弾け飛ぶようなサウンドを撒き散らす‥‥ああ、思い出すだけでしびれる。
このあたりからして、オートバイとは機械のくせに極めて官能的な物だと解る。クラシックは特に。
エンジンのメカ調整が万全ではなかったのか、当時のエンジンとはこういうものか、高速で80キロ以上出すとハンドルに細かな振動が伝わりくすぐったいような痺れをもたらす。
この後、これまたクラシックなBMW R27という美しいバイクにした。
モーターのようなスムーズなエンジン。
でも、運転していうちに眠気を催すほどのスムーズさ。
VICTORのあの荒々しさがR27に乗るたびに思い出された。
あらゆるものにぼくは原点、本質を思う。
車も、バイクも現在、どんどん本質を失う。
人をA~Bへと運ぶこと。そしてそれを操って常にファンであること。ぼくに取っての車の本質はそれ以外にはない。
もう一度乗ってみたいが、クラシックなバイクというものを乗る体力が失せた。
二枚を描く要望がある。
もう一台は、排気量の小さなものにしよう。モペットと言われるようなもの。
これだったら、これからだって乗れるかもしれない。
乗り物。男のおもちゃ。やはり、意識の中から離れられないものだろうな。

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