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マヨネーズに於ける終始滅裂

マヨネーズに於ける終始滅裂

我が家はケチで有名です。
ぼくは関西人なので、その気質は強いのであります。
関西で、ケチは誇りです。それは合理性なのです。
このものの値段、本質はどこにあると言うことを反芻して値切ります。

本質はそのものの価値にあって、メンツには存在しません。
東京人と言う、ごめん、田舎人は東京にいると根無し草だから肩書きやメンツを頼りにします。
関西人は割に地元で生えた奴がいるので、それより、本質を問題にします。

あ、言いたいこととは反れてしまいました。
つまりマヨネーズのチューブを絞り出せる限りに絞る訳です。
それを見て、女房に触るなよと言ってカメラを取りに行きました。
何枚か写しました。
誰が、絞り切ったマヨネーズチューブの美を認めて写真を撮りたいと思うでしょうか?
その時にはもう、この絵の仕上がりをぼくは勘定に入れていました。

ぼくはこのからの絞り切ったチュウブに現代の世界を見たのです。

この日常のつまらない物品の現す世界と現代の凄く偉ぶった社会と単位としては同等と感じます。
いや、あるいは、それ以上にマヨネーズ絞りきりの存在の方が存在性としては絶対的に上位なのです。

ご都合にあわせて、言葉を濁らす国会答弁よりもこの絞り切っても絞りきれない空チュウブの存在の方が実は有り難いものじゃないですか?

この方が真実を伝えている。
ぼくは朝飯の終わりにそれをを感じたのです。

これはこれはワトソン紙の(高級でっせ!)90×60cmのパネルに鉛筆でデッサンをして、Payne's Gray という色のアクリル絵の具と白のみで描きました。
このPayne's Gray という色は、なんだか日本の伝統色にも通じるような気がします。
青系なのですがグレイシュな仕上げの色です。

簡単に仕上げた段階でもフィニッシュが出来ましたが、値切りの時間がかなりかかりました。
変な方向に向かうかも知れないぐらいの寸前で止めました。

この前の絵あたりから、ぼくのなんで絵を描くのかと言うことが少し解って来たような気がします。

はい、ぼくはケチです。でも”しぶちん”ではないような気がします。

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