CREATIVES

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3度も洗ったら、線に占められた猫になってしまった

3度も洗ったら、線に占められた猫になってしまった。
もともとは”皿洗いの図”だったんだけど、何度やり換えても最後の落としどころで気持ちよくない。
油気が残るプラスチック容器の洗いもののようなもので、3度も描き換えた。
ついには、ふて寝をして浮かんだ線まみれの猫の図がのしかかってしまった。
アクリルの絵の具で考えが煮詰まってしまった場合、画面がとても汚くなり、凸凹もつく。そこに新たな絵を描くというのは尚更いやなものだ。‥‥‥そう今までは思っていた。
このごろこうして何度も重ねて描くと厭というよりむしろ下地がどんどん重なりよい下地になる、なんて良いように感じるようになった。
今回、”皿洗い図”からこうした絵は、鉛筆のメモ描から発生した絵だ。
そうした描きとめておく絵は、ぼくの手首の勝手に動く線がそのまま生かされる絵だ。ぼくだけの描くというDNAのようなものだ。
鉛筆の自由に動く線、生まれてからこの方の身にしみた手首の動き、頭と手との連絡、そういったことを改めて考えている。
こうしたいいかげんな描き方の絵の中に”ぼく自身”が埋め込まれる。
68年間のぼくの体に染み付いた習慣、癖、そして記憶の断片。それらそこかしこに埋め込まれて行く。
やっとぼくは、デッサン的な描写や考えや固定概念から離れようとしている。
「離れても心配ないよ、描くことに疑いを持たない思考や方法がようやく現れて来たんだ」というささやきが聞こえる。

*76×120cm ワトソン紙パネル アクリル

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