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”ぼくのピストル”
立体作(ボール紙で)を20年以上前から数年間作っていたことがあった。
未だにかなりの数を保管しているが、体積があるので、保管に持て余していた。
中でも、もうこれは廃棄しようというのが数点階段の踊り場におき、廃棄の準備をしていた。
ある時、階段を上がり、ふと振り返った時この作の厚みを薄くして絵にすることがひらめいた。
3次元が2次元に近付こうとした。
鋸で作品を縦半分にぶった切って、額というより箱に近い中に入れるとおもちゃ箱を眺める風景が見えた。
幼児的感覚が立ち上がり、子供のときの生まれて初めて出会うものに感動を憶えのが蘇って来るような気がした。
幼児の初めての経験がぼくのすべてをその時に作っていたんだ。
大人になるにしたがい、誰にも邪魔されなかったぼくだけの感覚は、どんどんと侵害されて行った。
社会順応するように、右向け右、将来こうならないといけないよ‥‥‥‥‥
ぼくは計算が苦手。すべからく処世術がヘタだ。
しかし、親や世間はぼくの尻を叩く。
コマーシャルイラスト(カンプライター)でやっと飯が喰えるようになッたが、パソコンの発達やバブル崩壊でその仕事は世の中から消滅した。
どうして喰ったらいいんだろう。
やがて、絵に打ち込むようになった。ますます金は入らない。
でもぼくは今幸せだ。
誰からも束縛されない。勝手なことを描いていいのだ。
そんな経過から、ぼくの幼い時から現在までの道乗りが絵の原動力になっていることに気がついた。
生きて来た中で生み出した様々な素材が今有機的な関係を示して、ぼくの前に現れる。
この廃棄すべき立体作も、必然的に今のぼくに使うべきだと訴えかけて来る。
色んなことが今のぼくに符合する。
20年ほどの歳月が無駄でなく今のぼくの為にスタンバイしていた。
ようやくにして、むりやりぼくというものを作る努力をせずに、ぼくらしいものが出来ようとしている。
*123.5x92.8cm ボール紙による半立体、アクリル描画、木材での箱形。
未だにかなりの数を保管しているが、体積があるので、保管に持て余していた。
中でも、もうこれは廃棄しようというのが数点階段の踊り場におき、廃棄の準備をしていた。
ある時、階段を上がり、ふと振り返った時この作の厚みを薄くして絵にすることがひらめいた。
3次元が2次元に近付こうとした。
鋸で作品を縦半分にぶった切って、額というより箱に近い中に入れるとおもちゃ箱を眺める風景が見えた。
幼児的感覚が立ち上がり、子供のときの生まれて初めて出会うものに感動を憶えのが蘇って来るような気がした。
幼児の初めての経験がぼくのすべてをその時に作っていたんだ。
大人になるにしたがい、誰にも邪魔されなかったぼくだけの感覚は、どんどんと侵害されて行った。
社会順応するように、右向け右、将来こうならないといけないよ‥‥‥‥‥
ぼくは計算が苦手。すべからく処世術がヘタだ。
しかし、親や世間はぼくの尻を叩く。
コマーシャルイラスト(カンプライター)でやっと飯が喰えるようになッたが、パソコンの発達やバブル崩壊でその仕事は世の中から消滅した。
どうして喰ったらいいんだろう。
やがて、絵に打ち込むようになった。ますます金は入らない。
でもぼくは今幸せだ。
誰からも束縛されない。勝手なことを描いていいのだ。
そんな経過から、ぼくの幼い時から現在までの道乗りが絵の原動力になっていることに気がついた。
生きて来た中で生み出した様々な素材が今有機的な関係を示して、ぼくの前に現れる。
この廃棄すべき立体作も、必然的に今のぼくに使うべきだと訴えかけて来る。
色んなことが今のぼくに符合する。
20年ほどの歳月が無駄でなく今のぼくの為にスタンバイしていた。
ようやくにして、むりやりぼくというものを作る努力をせずに、ぼくらしいものが出来ようとしている。
*123.5x92.8cm ボール紙による半立体、アクリル描画、木材での箱形。
