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まつりじまい
本プロジェクトは、地域で長年続いてきた小さな祭礼を「どのように終えるか」、そして「どのように残すか」を探究する活動です。
私の祖父母の住む夏山町平針地区には、「天王さん」「おざさ」「秋葉山」「金比羅山」という4つの小さなお祭りがあります。
祖父は長年「社守」役として祭礼を担い、お供えの準備や祝詞を捧げる役目を続けてきました。
しかし担い手の高齢化と地域の過疎化により、これらの祭りは今年で終わりにしようという話が出ています。
これらの祭りの謂れ、準備の方法、当日の流れなどは、口伝によって受け継がれてきました。
祖父が子供の頃と比べると開催の形もかなり簡略化されてきており、かつての形などは資料がほとんどありません。
地域の方の話を聞いていると、祭りがなくなるのは仕方ないという思いと、何も残らず消えてしまうことへの寂しさや葛藤を感じます。
「まつりじまい」は、こういった小さな祭りを「前向きにしまう」方法を探究するためのプロジェクトです。
地域の方々への聞き書きを通して、祭りの準備や流れといった開催記録だけでなく、祭りの由来や過去からの変化、個人の思い出などを記録します。
また、例年夏に行われる「天王さん」「おざさ」については、可能であれば簡略化される前の形での「最後の一回」の開催を地域の方と相談し、その準備や当日の様子も記録対象とします。
最終的にはZINEのような冊子形式でまとめることを想定していますが、ComoNeでの展示や対話を通して、「祭りをしまうための記録」としてより適した形を探っていきます。
これらの記録は単なる保存ではなく、もし将来また祭りを行える状況が訪れたときに、再び取り出して手がかりにできるよう「未来へしまっておく」ことも目指しています。
私の祖父母の住む夏山町平針地区には、「天王さん」「おざさ」「秋葉山」「金比羅山」という4つの小さなお祭りがあります。
祖父は長年「社守」役として祭礼を担い、お供えの準備や祝詞を捧げる役目を続けてきました。
しかし担い手の高齢化と地域の過疎化により、これらの祭りは今年で終わりにしようという話が出ています。
これらの祭りの謂れ、準備の方法、当日の流れなどは、口伝によって受け継がれてきました。
祖父が子供の頃と比べると開催の形もかなり簡略化されてきており、かつての形などは資料がほとんどありません。
地域の方の話を聞いていると、祭りがなくなるのは仕方ないという思いと、何も残らず消えてしまうことへの寂しさや葛藤を感じます。
「まつりじまい」は、こういった小さな祭りを「前向きにしまう」方法を探究するためのプロジェクトです。
地域の方々への聞き書きを通して、祭りの準備や流れといった開催記録だけでなく、祭りの由来や過去からの変化、個人の思い出などを記録します。
また、例年夏に行われる「天王さん」「おざさ」については、可能であれば簡略化される前の形での「最後の一回」の開催を地域の方と相談し、その準備や当日の様子も記録対象とします。
最終的にはZINEのような冊子形式でまとめることを想定していますが、ComoNeでの展示や対話を通して、「祭りをしまうための記録」としてより適した形を探っていきます。
これらの記録は単なる保存ではなく、もし将来また祭りを行える状況が訪れたときに、再び取り出して手がかりにできるよう「未来へしまっておく」ことも目指しています。

