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山野辺右衛門大夫義忠

戦国大名・最上義光の四男。
最上家内一の器量人と目されていた。
徳川家康からも“恐るべき怪童”と評されたという。
元和8年(1622)の最上家改易に伴い、備前池田氏に預けられた際は、
自身は蟄居の身でありながら、
「鍵屋の辻の決闘」で有名な荒木又右衛門の敵役・河合又五郎を一時匿ってもいる。
寛永10年(1633)、1万石で水戸徳川家に迎えられ、家老職を務めた。
次男の義堅は藩主頼房の息女・利津姫を妻に貰い受けるなど、厚遇を受けた。
水戸黄門で有名な、徳川光圀の守役も務めたと言う。

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