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最上 侍従 義光

1546年2月1日(天文15年1月1日)~1614年2月26日(慶長19年1月18日)69歳没。
最上氏10代当主・義守の嫡男で、11代当主となった南出羽の戦国大名。出羽守、従四位下侍従。
また、文化人としても優れており、連歌や文学を通じて、里村紹巴、一花堂乗阿などと交流を深めている。
義光が家督を継いだ当時、最上氏は伊達氏の下風にあり、最上氏支族、国人衆らの自立性も高かった。
伊達氏の影響下から脱し、強力な集権体制を打ちたてようとした義光は、実父との対立を厭わず、周辺諸侯を次々に降していく。
その戦い方は力攻めだけではなく、謀略を使い、敵を戦わずして弱体化させ攻め滅ぼすなど、巧みであった。
しかしその一方で、戦場へ向うと猛将としての気質が優先し、策を無視して、自ら鉄棒を振るい突撃する事もしばしばであった。
ただし一旦味方になった者には寛大に接し、大封を得た者も多く、降将から殉死者も出している。
“関ヶ原の合戦”では東軍に付き、直江兼続率いる上杉軍の大軍を“長谷堂城の戦い”などで破り、戦後57万石の太守となった。

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