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michi to kichi to
https://soundcloud.com/yubinooto/michi-to-kichi-to/s-yf4lbwPU0WS?si=fe70cdcaa8f742c996a4825cb8e7dd5f&utm_source=clipboard&utm_medium=text&utm_campaign=social_sharing
フィールドレコーディングによる音楽制作は、音素材が録音された場所の文脈が大きく作品に入り込みます。
佐世保で録音されたさまざまな音源をもとに音楽をつくること自体、多くの制作者にとってはそこまでむずかしいことではないのかもしれません。ただ、ぼく自身は佐世保に行ったことがなく、作品を制作する前の段階では、佐世保についての知識をほとんど持ち合わせていませんでした。そんな状態で、無邪気に佐世保の音を使っていいのだろうか。そんな逡巡を抱えながら、近所の図書館に足を運びました。
佐世保について調べるなかでもっとも気になったのは、佐世保というまちには、戦後から現在にいたるまでアメリカ海軍の基地が日常のなかに存在しているという事実でした。
ぼくは静岡県浜松市に生まれ、現在東京都立川市に住んでいます。
どちらのまちにも共通しているのは、日常的にヘリや飛行機が遠くの空を通過する音を耳にしていることです。これまでその音を不快に感じたことは一度もなく、あえて言うならば、自宅で音楽を制作するときに、マイクがその音を少し拾ってしまうことが気になるくらいです(いつもその音が遠ざかるのを静かに待ちます)。
日常のなかであたりまえに軍の「音」に囲まれて過ごしていること。
もしかしたら、そこにじぶんと佐世保との接点となるものがあるかもしれない。それが本アワードのテーマである、「Shoreline」を表すものになるかもしれないと感じ、作品を応募することにしました。
かつて立川では、基地拡張計画に反対する「砂川闘争」と呼ばれる運動がおこなわれ、その結果計画が中止されたという歴史があります。調べてみて驚かされたのは、拡張予定地だった地域が、これまでに数えきれないほど歩いたことがある道の途中にあるということでした。
本作品の制作は、そんなじぶんの「未知」に向き合うために「道」を歩き、その音をフィールドレコーディングすることからスタートしました。
楽曲の基点となるのは、拡張予定地だった場所を歩く足音と、上空を通過するヘリのホバー音です。
徐々に足音は白浜海岸の波の音へとクロスフェードしていき、踏切、朝市のベル、ラッパの音によるハーモニーが、ヘリのホバー音に混ざりあっていきます。
やがて立川の環境音は減衰し、造船所の作業音、朝市の漬物屋さんの会話、外国人バー街、佐世保バーガーを焼く音、九十九島の遊覧船内のアナウンスが、想像上の佐世保のサウンドスケープを形成していきます。
そんな空想から現実に戻るように、楽曲の最後は、アパートに戻るじぶんが玄関のドアを開ける音で締め括られます。
「michi to kichi to」は、じぶんの「未知」に出会うために「道」を歩き、「基地」に想いを馳せ、「既知」を生活の中に取り込んでいくことを意味しています。
手の中のスマートフォンは日々戦争の惨状を伝え、何気なく歩いている道には戦争の記憶が宿っている。そのなかで日常を生きることがあたりまえになり、やがてじぶんはなにも感じなくなってしまうのではないか。
そんな恐怖と罪悪感に向き合うきっかけを、本アワードは与えてくれました。
フィールドレコーディングによる音楽制作は、音素材が録音された場所の文脈が大きく作品に入り込みます。
佐世保で録音されたさまざまな音源をもとに音楽をつくること自体、多くの制作者にとってはそこまでむずかしいことではないのかもしれません。ただ、ぼく自身は佐世保に行ったことがなく、作品を制作する前の段階では、佐世保についての知識をほとんど持ち合わせていませんでした。そんな状態で、無邪気に佐世保の音を使っていいのだろうか。そんな逡巡を抱えながら、近所の図書館に足を運びました。
佐世保について調べるなかでもっとも気になったのは、佐世保というまちには、戦後から現在にいたるまでアメリカ海軍の基地が日常のなかに存在しているという事実でした。
ぼくは静岡県浜松市に生まれ、現在東京都立川市に住んでいます。
どちらのまちにも共通しているのは、日常的にヘリや飛行機が遠くの空を通過する音を耳にしていることです。これまでその音を不快に感じたことは一度もなく、あえて言うならば、自宅で音楽を制作するときに、マイクがその音を少し拾ってしまうことが気になるくらいです(いつもその音が遠ざかるのを静かに待ちます)。
日常のなかであたりまえに軍の「音」に囲まれて過ごしていること。
もしかしたら、そこにじぶんと佐世保との接点となるものがあるかもしれない。それが本アワードのテーマである、「Shoreline」を表すものになるかもしれないと感じ、作品を応募することにしました。
かつて立川では、基地拡張計画に反対する「砂川闘争」と呼ばれる運動がおこなわれ、その結果計画が中止されたという歴史があります。調べてみて驚かされたのは、拡張予定地だった地域が、これまでに数えきれないほど歩いたことがある道の途中にあるということでした。
本作品の制作は、そんなじぶんの「未知」に向き合うために「道」を歩き、その音をフィールドレコーディングすることからスタートしました。
楽曲の基点となるのは、拡張予定地だった場所を歩く足音と、上空を通過するヘリのホバー音です。
徐々に足音は白浜海岸の波の音へとクロスフェードしていき、踏切、朝市のベル、ラッパの音によるハーモニーが、ヘリのホバー音に混ざりあっていきます。
やがて立川の環境音は減衰し、造船所の作業音、朝市の漬物屋さんの会話、外国人バー街、佐世保バーガーを焼く音、九十九島の遊覧船内のアナウンスが、想像上の佐世保のサウンドスケープを形成していきます。
そんな空想から現実に戻るように、楽曲の最後は、アパートに戻るじぶんが玄関のドアを開ける音で締め括られます。
「michi to kichi to」は、じぶんの「未知」に出会うために「道」を歩き、「基地」に想いを馳せ、「既知」を生活の中に取り込んでいくことを意味しています。
手の中のスマートフォンは日々戦争の惨状を伝え、何気なく歩いている道には戦争の記憶が宿っている。そのなかで日常を生きることがあたりまえになり、やがてじぶんはなにも感じなくなってしまうのではないか。
そんな恐怖と罪悪感に向き合うきっかけを、本アワードは与えてくれました。

