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どの絶滅危惧空間を扱うのか(300文字以内)
私が扱う「絶滅危惧空間」は、住宅地の街角に点在する、小面積でごく普通の街区公園や児童遊園である。平らな空き地に、ほとんど使われないスプリング遊具やブランコが一基だけ置かれ、それによって辛うじて公園であることが示されている。子どもたちは、より広く、木陰や遊具が多く、すでに仲間の集まる公園へ向かう。こうして身近な小公園は、通り過ぎられるだけの空白となり、物理的には残りながら、人々の生活から消えかけている。
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なぜその絶滅危惧空間を扱うのか(600文字以内)
多くの小公園は、公園として行政管理の対象になっているため、土地そのものが急に消えるわけではない。しかし、誰も入らず、遊具にも触れず、日常の記憶や会話に現れなくなれば、空間は物理的に存在しながら社会的には消滅している。公園は「みんなのもの」であるほど、誰も自分のものとして関わりにくい。設備の量や規模で大型公園と競わせても、小公園は選ばれない。必要なのは、その小ささと生活動線への近さを価値に変えることだ。短時間の行為でも風景に変化が残り、次の利用者がその痕跡を読み取れるなら、公園は単なる通過地点ではなくなる。風景を変える権利の一部を利用者に委ねることで、場所との結びつきが生まれ、見知らぬ住民同士も互いの存在を意識し始める。人を一度呼び戻すことではなく、「この場所を少し気にかけたい」という持続的な感情を育てることが、本提案の目的である。
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どのようにその絶滅危惧空間を変異させるのか(1200文字以内)
私は遊具を、単体で完結する設備ではなく、人の反復動作を公園全体の変化へ接続するインターフェースとして再設計する。
一つ目は、ブランコの運動で地下に蓄えられた雨水を少しずつ汲み上げる遊具である。漕ぎ続けると、やがて水が広場の表面を薄く覆い、空や木々を映す水鏡が現れる。二つ目は、スプリング遊具の左右の揺れを機械的に伝え、樹木を載せた植栽ユニットをゆっくり回転させる遊具である。中国の「山不転水転、水不転人転(山が動かなければ水が動き、水も動かなければ人が動く)」という言葉のように、動かないと思われていた環境が、人の行為をきっかけに別の姿を見せ始める。遊具で遊ぶことが、風景を眺めることから、風景をつくることへ変異する。
私はこの仕組みを「勝たせる風景」と呼ぶ。設計者が完成形を固定するのではなく、利用者に風景を一時的に変える権利を渡し、その人の意思に景観が「負ける」条件をつくる。操作と結果の関係は画面やアプリを介さず、身体の動きと機械の反応として直感的に理解できる。変化は永久ではない。水は蒸発し、木の向きは次の利用者によって再び変えられるため、公園は常に未完成の状態へ戻る。
例えばAとBが、それぞれ好きな木の向きを持っているとする。二人は顔を合わせなくても、通勤や散歩の途中に公園へ入り、陣取りゲームのように木を自分の好きな角度へ戻す。ある日、Aは一週間木が動いていないことに気づき、会ったことのないBを心配する。その後、再び木の向きが変わり、AはBが戻ったことを知る。風景に残された差異が、時間を越えた会話になる。
これは二人だけの競争ではなく、周辺住民の好みや行動が重なって現れる集団的な意思表示である。操作、痕跡、上書き、回復を繰り返しながら、「みんなのもの」であった公園を「自分も関わっている場所」へ変える。さらに各公園に異なる遊具を配置すれば、点在する小公園群は互いにつながり、都市全体に分散した、日常の中のもう一つの遊園地へと変異する。
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勝たせるランド:遊具で街区公園の風景を書き換える
住宅地に点在し、使われなくなりつつある小さな街区公園を、利用者が遊具を通して風景を書き換えられる場所へ変異させる提案である。ブランコが地下に蓄えた雨水を汲み上げて広場に水鏡をつくり、スプリング遊具が樹木をゆっくり回転させる。各公園に異なる仕組みを配置し、都市全体を日常の中に分散した遊園地「勝たせるランド」へと再編する。
