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どの絶滅危惧空間を扱うのか(300文字以内)
公園の「遊具」と、都市の「路地裏」という2つの絶滅危惧空間を扱う。単体としての遊具や路地裏だけでなく、近代化と過度な安全管理の中で「遊び」が公園内に閉じ込められ、それ以外の都市空間から排除されている構造そのものを、変異の対象として捉える。
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なぜその絶滅危惧空間を扱うのか(600文字以内)
フランスの社会学者ロジェ・カイヨワは遊びを4要素に分け、一つを「眩暈」とした。日常味わえない感覚による現実からのリトリートは、それ自体に意味を持つ。遊具はこの「眩暈」を安全に体験できる希少な空間であるが、同時に遊具によって遊びは都市の他領域から排除された。遊具輸入以前は街全体が遊び場であった。車や住宅の増加に伴い安全のため遊びは公園に閉じ込められたが、遊びを一箇所に縛ること自体本質ではない。
さらに現代の公園では財政難から老朽化した遊具に「立ち入り禁止」テープが巻かれたまま放置され、空間的・機会的損失と寂しさを生む。安全にリトリートできる空間の限定・喪失は、子どもの健全な発育にも望ましくない。
また、現実からのリトリートを本当に必要とするのは、むしろ大人であろう。ネスタリゾート神戸は「大自然の冒険テーマパーク」を掲げ、丘を転がる、空を渡るなど日常の身体感覚を逸脱する体験を核としたリブランディングで、1年足らずで集客207%、売上260%を達成した。大人にこそ非日常体験が求められている。
車が入らない立地性と人の目が担保されれば、遊びは都市へ解放されるべきだ。そこで着目するのが「路地裏」だ。細く入り組み、歩くだけで先が気になる構造や、生活と公共性が混ざり合う中に「遊び・非日常」の要素が隠れている。路地裏に人の目を届かせる仕組みをつくれば、公園の枠を越え遊びを解放できる。 -
どのようにその絶滅危惧空間を変異させるのか(1200文字以内)
まず、路地裏に「空間構造的に意味のない丘」や上って降りるだけの「無目的な階段」、非日常的な高低差などを組み込み、空間全体を巨大な遊び場として再定義(変異)させる。特定の遊び方を提示するのではなく、空間の歪みそのものを配置することで遊びの自由を取り戻す。
この路地裏と遊びが融合した変異空間は、昼は子どもが規定された遊び方から解放されて新しい遊びを「見つける」場となり、夜は大人が非日常的な空間の歪みに童心をくすぐられ、「少し高くなっているところを歩いてみる」といった、かつての「遊び」を思い出すリトリートの場となる。
全国の都市公園は遊具の設置から30年以上経過したものが既に約6割を占め、10年後には約8割に達する見込みであり、行政単独での維持更新はもはや前提として成立しない。実際、南池袋公園のように民間事業者の誘致によって年間来園者を大幅に伸ばし、その収益の一部を公園の維持管理費に還元するという仕組みが機能している。本提案は、この収益還元の論理を路地裏という公園の外側にまで拡張するものである。この空間を持続可能にするため、路地裏全体の資産・経済価値を引き上げる「面(エリアマネジメント)」の循環モデルを構築する。沿道に趣旨に賛同する店舗や事業者を誘致して昼間の「人の目」による安全性を確保すると同時に、人通りや賑わいの創出によって周辺の空き家・不動産の価値を向上させる。こうして生まれる収益は路地裏の維持管理だけでなく、行政が対応しきれず放置されている近接する既存公園の老朽化遊具の修繕費にも還元・拠出する。
昼間、子どもが巨大な路地裏空間を遊び場として堪能する傍ら、保護者は店舗でくつろぐことができる。お店同士の連携がとれ、子どもがどこにいて何をしているかもすぐにわかるような、路地裏空間自体が子どもを見守る一つの地域コミュニティとして機能する状態を目指す。安全管理においては、「自分の責任で自由に遊ぶ」という地域合意を形成し、日常的な見守りはコミュニティで担う。
この変革は、路地と公園が隣接する都市部から始まる。特に、大規模な区画整理によって消滅が危惧されている路地裏は、本来「遊びのトリガー」となり得る空間である。子どもの遊びを地域が見守り、大人が遊びを思い出すこのエコシステムの成功は、路地裏という空間を持たない郊外の商店街や住宅街においても、活性化のモデルケースとして波及していくと考える。空間のデザインと地域経済の循環システムを掛け合わせることで、子どもと大人が安全に遊び、都市全体が持続的に回復していく新しい社会インフラへと変異させる。
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ROJI-PARK
路地(ROJI)裏という空間全体が「遊び場(PARK)」に変異する
