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『μ(ミュー)』
あなたが最後に、誰かの顔にふれたのはいつですか。
幼い子どもの頬にふれることはあっても、成長するにつれて、親子の間でさえ顔にふれる機会は少なくなっていく。親しい友人同士であっても、顔にふれることはほとんどない。恋人や夫婦の間でさえ、年月とともに、互いの顔に手を伸ばすことは減っていく。
顔にふれることは、もともと特別な行為なのだ。
それは、単に皮膚へ接触することではない。そこには、親密さ、信頼、許可、いたわり、敬意といった、相手との関係性が含まれている。顔は、誰もが自由にふれられるものではないのだ。
能面もまた、奉納にも用いられる神聖な顔として敬意を払われ、安易にふれてはならないとされてきた「顔」である。
『μ』は、能面を拡大した木の顔である。
拡大されたことで装着性を失い、もはや演能に用いられる能面ではない。と同時に、その大きさは、人間の顔の尺度からも離れている。能面でも人間の顔でもない『µ』は、「安易にふれてはならない」という枠の外に存在する。
『μ』の大きな顔は、物理的にも広い面積で、ふれようとする人の手を受け入れる。心理的にも、関係性を考慮せずに「顔に手でふれる」という行為を誘う。一方で、それをなお「顔」として受け取り、安易にふれることをためらう人もいる。ふれずに、距離を置いたまま見つめる人もいる。
『µ』の顔にふれるという行為を通して、「顔」の意味と、「顔にふれる」ことの意味を問う。そして、人間関係が希薄になりつつある現代において、「ふれる」ことによる他者との関係性を再考する。
制作補足:
本作は、岡崎産檜材(提供:株式会社モリアゲ)を使用した『岡崎の森を盛り上げる能面プロジェクト』の一環である。
伝統にふれる。森にふれる。 《μ》は、伝統文化をふれられる形へとひらく試みでもある。そして、木にふれることは、その源の森に思いを向けることでもある。
幼い子どもの頬にふれることはあっても、成長するにつれて、親子の間でさえ顔にふれる機会は少なくなっていく。親しい友人同士であっても、顔にふれることはほとんどない。恋人や夫婦の間でさえ、年月とともに、互いの顔に手を伸ばすことは減っていく。
顔にふれることは、もともと特別な行為なのだ。
それは、単に皮膚へ接触することではない。そこには、親密さ、信頼、許可、いたわり、敬意といった、相手との関係性が含まれている。顔は、誰もが自由にふれられるものではないのだ。
能面もまた、奉納にも用いられる神聖な顔として敬意を払われ、安易にふれてはならないとされてきた「顔」である。
『μ』は、能面を拡大した木の顔である。
拡大されたことで装着性を失い、もはや演能に用いられる能面ではない。と同時に、その大きさは、人間の顔の尺度からも離れている。能面でも人間の顔でもない『µ』は、「安易にふれてはならない」という枠の外に存在する。
『μ』の大きな顔は、物理的にも広い面積で、ふれようとする人の手を受け入れる。心理的にも、関係性を考慮せずに「顔に手でふれる」という行為を誘う。一方で、それをなお「顔」として受け取り、安易にふれることをためらう人もいる。ふれずに、距離を置いたまま見つめる人もいる。
『µ』の顔にふれるという行為を通して、「顔」の意味と、「顔にふれる」ことの意味を問う。そして、人間関係が希薄になりつつある現代において、「ふれる」ことによる他者との関係性を再考する。
制作補足:
本作は、岡崎産檜材(提供:株式会社モリアゲ)を使用した『岡崎の森を盛り上げる能面プロジェクト』の一環である。
伝統にふれる。森にふれる。 《μ》は、伝統文化をふれられる形へとひらく試みでもある。そして、木にふれることは、その源の森に思いを向けることでもある。
