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「☆¿※◉♯」が私を擬物化すると
『部屋の中にあるモノ』視点で見た私の動きや姿を想像し、「モノ視点での私」を動く彫刻としてして表現する試み。
私が「パソコン」と関わるとき、私は指でキーボードに触れる。
このとき「パソコン」からは、私という人間はどのようにみえているのだろうか。
「パソコン」にとって、私は指だけの存在にしかみえないのではないか?
あるいはディスプレイを見る目だけの存在、スピーカの音を聞く耳だけの存在なのではないか?
「パソコン」だけではない。「椅子」からは、私はどのようにみえているのか?
「ベッド」からは?「インターホン」からは?「アイスクリーム」からは?
それぞれのモノには、それぞれの知覚があり、それぞれの世界があると考えてみる。
人間は、人間以外のものを人になぞらえて理解したり、表現したりする。このことを「擬人化」という。 だとすれば、人間以外のモノが人間を理解する際には、モノは人間をモノになぞらえているかもしれない。 そうした、モノが人間をモノになぞらえることを、「擬人化」ならぬ「擬物化」と呼んでみる。
「擬物化」された私はきっと、人間とはまるで異なる姿や動きをする、ヘンテコな存在にみえているにちがいない。 モノによって擬物化された「私」が、どんなものになっているのかを想像することができれば、人間と非人間の立ち位置を入れ替えられるかも知れない。
私が「パソコン」と関わるとき、私は指でキーボードに触れる。
このとき「パソコン」からは、私という人間はどのようにみえているのだろうか。
「パソコン」にとって、私は指だけの存在にしかみえないのではないか?
あるいはディスプレイを見る目だけの存在、スピーカの音を聞く耳だけの存在なのではないか?
「パソコン」だけではない。「椅子」からは、私はどのようにみえているのか?
「ベッド」からは?「インターホン」からは?「アイスクリーム」からは?
それぞれのモノには、それぞれの知覚があり、それぞれの世界があると考えてみる。
人間は、人間以外のものを人になぞらえて理解したり、表現したりする。このことを「擬人化」という。 だとすれば、人間以外のモノが人間を理解する際には、モノは人間をモノになぞらえているかもしれない。 そうした、モノが人間をモノになぞらえることを、「擬人化」ならぬ「擬物化」と呼んでみる。
「擬物化」された私はきっと、人間とはまるで異なる姿や動きをする、ヘンテコな存在にみえているにちがいない。 モノによって擬物化された「私」が、どんなものになっているのかを想像することができれば、人間と非人間の立ち位置を入れ替えられるかも知れない。