COMPETITION

『自然のやさしさを探るAWARD』

自然から感じる心地よさとは何か、学び取り入れる試みを

結果発表 2020/11/03(火) - 2020/12/23(水)

やさしさはソウゾウリョク。自在であること。音楽があること。何もしないをすること。永原真夏さん×工藤シンクさん。やさしさ対談。

2020/10/27(火)

”やさしさは見えない翼ね”とは『風の谷のナウシカ』の歌詞の一説。
空の高いところまで飛んでいき見下ろせば、人も牛も桜も小さな点。
もっと高くから見下ろせば、大地に引かれた線も消えて、水晶玉のような綺麗な球体がそこにあるだけ。

”分ける”ことを文明の進歩と言ってきた僕らは今、前に進みながらも、分けられる前の場所に戻りたがっているように見える。数字の損得勘定じゃなくて、文化として引きずり倒されてきた社会規範や立ち居振る舞いじゃなくて、私でも、あなたでも、機械でも、家畜でもなくて、純粋な生命として僕らはどう生きるか、そんなことを時代は自らに問うている。

誰かと比較するものではないけれど、もしかしたら多くの人よりちょっとだけ高いところから世界を見つめている2人のアーティストに、今回はお話を伺っていく。

コロナの影響は全くない。電気水道ガス政治経済が止まっても笑っていられる村づくり。

雨宮:お2人は僕が4年前にやっていたフェスにアーティストとして出演していただいていて、ZOOM越しではありますが4年ぶりの再会ですかね?今日はよろしくお願いします!

工藤・永原:よろしくお願いします!

雨宮:最初に最近の、主にコロナ禍でのお2人の活動についてお伺いしたいです。

工藤:僕は熊本の海を見下ろす山の中で「三角エコビレッジ サイハテ」という1万坪のエコビレッジをしていて、30人ほどの住民たちと暮らしています。エコビレッジとは簡単にいうと”持続可能な暮らし”をテーマにした村のことで、これからの新しいライフスタイルをまとめてアートにしてしまおうと2011年に立ち上げました。

自分自身映像や音楽を作ってフェスに出演したり、絵を描いたり、デザインをしたりしていて、生き方自体をアートにしていきたいなと思って活動してます。

それでコロナ禍についてなんですけど、影響は全くなくて(笑)そもそもこの村は”電気水道ガス政治経済が止まっても笑っていられる村づくり”をしているので、熊本地震の時も問題がなかったし、むしろ最近は畑を増強したり、ニワトリを増やしたりしていましたね(笑)

雨宮:なんなら住民も増えてましたよね。

工藤:そうだね。案外都市は脆かったという経験を踏まえて、うちに見学に来たり、住み始めたりしている人もいる。

逆境の時代から生まれる音楽

雨宮:永原さんは最近どうですか?

永原:そうですね〜私の方はコロナのダメージを受けまくっています(笑)
いわゆるバンドのフィールドでずっとやっているんですけど、ニュースなどでも見受けられるように、圧倒的にわかりやすく先陣を切って被害を受けている業界です。業界自体は構造から変えていかないと、という感じなんですがミュージシャンは意外とマイペースなもので、レコーディングの方法を変えてみたりして、最近なんとか少しずつ動き出しています。

工藤:僕の周りもアーティストは多いのだけど、クリエイティブは充実しているみたいで。「アルゼンチン音響派」っていう一時期最先端だった音楽のジャンルは、アルゼンチンの経済が破綻して、お金が意味をなさなくなってしまった時に生まれた音楽で。振り返ればロックもジャズも時代の逆境から生まれてる。まぁ産業としての音楽なのか、魂の音楽なのかで文法が変わってくるのだろうけど。

雨宮:確かに。振り返れば今年は大名盤が豊作の年だったって言われるかもですね。

工藤さん、永原さん、やさしさってなんですか?

雨宮:早速なんですけど今日は「やさしさってなんだろう」ってことを特に深掘りしていきたいなと思って、まずは率直にお2人の考えを聞きたいです。

工藤:ストレスのないeasyな状態だったり、それを作ってあげることだったりするんだろうけど、逆にストレスをかけてあげるのもまたやさしさだったりするじゃないですか。やさしさの反対がきびしさならば、まぁそれを両立していることなのかなぁと。

雨宮:なるほど、まぁ言ってしまえばこの世の全ての概念は相対的に存在しあっているということもあり。

工藤:まぁそうなんだけど(笑) だからこそ今回”やさしさはソウゾウリョク”って言ってるのが、もう答えでとるやんっていうあざとさを感じる(笑)

雨宮:(笑) 永原さんはどうですか?

永原:私もやっぱソウゾウリョクなんじゃないかなぁと思うんですけど(笑)まぁでも別の角度で考えると、例えば私が1人無人島で生まれて死んでいっていたらやさしくなるかなぁ、うーん、ならないかもなぁと考えて。だから自分が生きる場所のルールの1個なんだとも思っています。

工藤:倫理教育とか経験とかそういうことによって培われる部分もあるのかなぁ。

永原:みんなが不快にならないための礼儀のようなものでもあって、それを飛び越えていくものでもあるなぁと思って。うーん、でも、いろんなやさしさがあるからもっと”やさしさ”が細分化されればいいのにって思いました(笑)

まぁ結局、そういうようなことをうじうじ考えるようなソウゾウリョクなんじゃないかな(笑)

雨宮:たしかにケースバイケースでいろんなやさしさがありますよね。発信側においてもそうだし、受け手側においてもそうで、そういう意味だと”芸術”に近い概念でもあるのかなぁって思って。ただの木も見た人が「芸術だ!」って言えば芸術になるじゃないですか。更にそこに意図という額縁が添えられればより芸術っぽく見られる。

「ありがとう」がいらない民

工藤:オーストラリアの先住民のアボリジニと出会って遊んでいたことがあって、そいつに「アボリジニの言葉でありがとうってなんて言うの?」って聞いたら「そんなのないよ」って。アボリジニにはあなたのものわたしのものっていう区別がなくて、みんな共同で生きているから「ありがとう」って発想がないよって言われて。そうすると全ては感謝でしかないんだけど、切り分けられてないからやさしさもどうなんだろうって。

雨宮:なるほど、当たり前すぎて概念にする必要もないと。

永原:すごいですね!その話は初めて聞きました。
子どもの頃に”魚を捕る場所は決まっている”って社会で聞いた時や、国に線が引かれているって知った時に「それはいつ誰がどうやって決めたんだろう」って純粋に不思議だったことがありました。そういう意味でやさしさっていうものに線引きがない方々っていうのも、分かるなぁと思いました。

工藤:僕らも資本主義が生まれてから何世代も経ってから生まれたから、計り知れないトラウマがあるのかもしれないね。

雨宮:資本主義って共同信仰で成り立ってるけど、そうやって信仰することで最大公約数的な幸福を僕らで実現しているなら、それは結構なソウゾウリョクの賜物で。ある意味やさしいなぁなと(笑)

工藤:極論言ったらそうだよね、僕らの世界は。そんな世界だからコロナは結構なエフェクトをかけたんだろうなぁと思う。

究極のソリューションは何もしないこと

雨宮:環境的なことでいうと経済活動が止まったから光化学スモッグが消えて、インドで遠くの山が見えるようになったってニュースもありましたね。

工藤:九州の人もみんな景色が良くなったって。

永原:東京もめちゃくちゃ良くなりました(笑) 六本木ヒルズが見えるようになった。

雨宮:会社行かなくても大丈夫なんだとか、色々な気づきを与えてくれたタームではありましたよね。まだ終わってないけど。まぁそういった時代の過渡期だからこそ、お2人が想像を馳せたい場所ってありますか?

工藤:まぁみんなで味わって行こうぜってことかな。昔は僕も偉そうに地球温暖化どうこうとかやってた時もあったけど、結局戦争があって平和の良さを実感できるように、みんなで体験して成長して発酵していった先にしか世界平和がないんだとしたら、このまま着々と生きていこうよと思う。

雨宮:サイハテとしては「続行」ってことですね。まぁ何も変わってないわけですもんね(笑)

永原:サイハテは私が行きたいーって言っても遊びに行けるんですか?

工藤:はい、もう明日来てもいいレベルで(笑)

永原:ええー行きたいです。なんかあの、私興味あることとしては、中学生まで区の「こどもエコクラブ」っていうのがあって、入ってたんですよ。そこではたまに世田谷区の水質を調べたり、オゾン層が破壊されてるよって調べて環境省に発表する新聞を作ったりとかしてました。さっきのお話にもあったように今回って極論をやっちゃったわけじゃないですか。みんな動かなければオゾン層復活したじゃん、って。それは私やっぱり、衝撃だったんですよ。なんだよーそれならみんなこれから月1で1ヶ月休もうよって思うんですよ。

工藤:だって六本木ヒルズまでバーンと景色抜けたら気持ちいいんだもんね(笑)

永原:そうなんですよ(笑)だから「世界おやすみ月」みたいなの作ったらいいじゃんって思うんですけど、じゃぁなんでそれが叶わないんだろうって考えるようになったんです。

音楽ってもっとプリミティブなもので、祝祭でもあって、日常のものでもあるし、降ってくるインスピレーションでもあって、そういうものを構造に依存せずに、魂が構造に還元されていく形で音楽ができないかとミュージシャン達は考えていて。音楽業界は電気も使うし、土地代高いところにライブハウス作るしややこしいこともあるんですけど、そういうこと取っ払って「どうして必要なんだろう」と最近向き合っています。エコビレッジはたくさんのヒントがありそうですごく興味を持ってます。

テクノロジーと音楽が自在を整える

工藤:エコビレッジは脱資本主義とか思われることもあるけどそういうことではなくて、なんなら電気使いまくったっていいじゃない、地球に負担をかけないものであればって思ってる。だからそこでテクノロジーなんですよ、いい導入になったんじゃない?(笑)

雨宮:パナソニックさんの出番(笑)

工藤:まぁ結局原発だってダムだってやさしさで作られるもので、結果論でジャッジされるだけであって。

永原:今聞いてて思ったのは「テクノロジー」「疑問」「どうしたらいんだろうって思うこと」やさしさは選択肢を増やすってことなのかもしれないですね。こういう考えもあるよ、こういうやり方があるよってたくさん選択できることは、生きていく上では本当に切実なやさしさだなって思いました。

工藤:みんな自由であることを求めるんだけど、そもそも世界は自由でしかないし、自由などないから、大事なのは自在であることなんだよね。それが選択肢を増やすってことであり、つまりソウゾウリョクってことだから、答えは最初から出てたんだよ(笑)

雨宮:自在であることは大切で、そう在る為に大切なのが音楽なのかもしれないです。
歌がない民族って世界で1つもないらしくて。これって歌がなければ社会ってそもそもできてなかったんじゃないかって思うんです。

工藤:音楽は一瞬にしてみんなを同じバイブスにもっていけるやさしいツールだね。

永原:存在自体がそもそも不思議ですしね。なんか、上手な人の歌より歌が苦手な友達の歌の方が気持ちがパァっと晴れるみたいな体験もありますしね。

想像するために必要なこと

雨宮:お2人は作品をイマジネーションするときにいつもやってることだったり、コツだったりあったりしますか?

工藤:僕は特に何も。いつも朝起きたら何も考えずに珈琲と煙草の時間を1時間くらい取ってて。強いて言えば何もしないし、何も考えない時間をめちゃくちゃ大事にしてます。

側から見ると何もしてないから、嫁には「何もしない時間なんとかしな」って言われるんだけど、それなしでは僕はちょっと無理かなって思います(笑)

永原:すごくよく分かります(笑)私は一生ずっと暇人がいいって言ってて。忙しい方がかっこいいかなーって悩んでた時期もあったんですけど、漠然とぼーっと生きているのがすごく好きで、できれば毎日暇がいいなって思います。

工藤:ああ、よかったよかった(笑)

永原:くまのプーさんに「何にもしないをするんだよ」ってセリフがあってそれがすごく好きで「これからクリストファーロビンは何かしないといけないけど、何もしないをしたくなったらいつでも100エーカーの森にいるから」って。

工藤:いい話だなぁ。歴史的な発見とか結構散歩中とか何もしてないときに閃いてたりするしね。

自然のやさしさにふれる

雨宮:今回の「ソウゾウするやさしい展」のアワードのテーマが「自然のやさしさを探るAWARD」っていうテーマなんですけど、そのテーマでお2人が思い浮かぶものってありますか?

工藤:個人的には果物を見るたびにやさしさに慄く(笑)りんごとかみかんとかバナナとか、なんでこんなに美味しくて栄養あって、持ち運べて食べやすいんだろうって毎回ぶっ飛ぶね。だって食べて欲しいって意思しか感じないじゃない(笑)

雨宮・永原:確かに・・・

工藤:魚とかももちろんありがたいんだけど、フルーツはちょっと別格でやさしいね。

永原:私は趣味で写真を撮るんですけど、雨が降った時にフラッシュをたくとピカって光るじゃないですか。

私は水が光るってことにすごくやさしさを感じています。

というのは、昔カメレオンを飼っていたんですけど、カメレオンは動いているものを生きてるって認識するっぽくて、ネイルのラメとかにすごく反応するんですよ。

工藤:ただ動いているだけじゃなくてチラつくようなものに反応するんだ。

永原:そうですそうです。自分自身も海に行った時に、水面がキラキラして光の道ができて、それが時間と共に動いていく景色とかずっと見ていられるなって。

工藤:わかるわかる。車で移動している時とか窓と雨の先にある光とかずっと見ていられる(笑)

最後にききたいこと

雨宮:長らくお付き合いいただきありがとうございました!最後にお互いに何か聞いてみたいことはありますか?

工藤:僕はとにかく永原さんの音楽が聴きたいと思いました。

永原:はい!サイハテや新しいライフスタイルなど考えるに至った最初のエピソードが聞きたいです。

工藤:単純に自分の好きな世界により近づきたいと思って。いわゆる世界平和っていうものを生きているうちに味わってみたいなぁって思った。美しいものが好きで、競争することに全く関心が向かなくて、受験だとか就職だとか出世だとか、誰かを負かして進めなくちゃいけない人生なら生まれなくて良かったんじゃないかと、子どもの時から絶望してた。大人になって東京で働いて、社会の図式を見たときに「超えられる」と思った。9年前にエコビレッジを作った時は誰も理解できてなかったけど、続けてれば必ず時代を牽引していくことになる確信があった。

永原:ありがとうございます!生活そのものがもう表現なんですね。

工藤:もう社会に組み込まれて生きることができない馬鹿者で(笑)

雨宮:お2人とも今日はありがとうございました!

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広く、柔らかく世界を見つめるアーティストたちの視点は、もしかしたらすんなり受け入れがたいことかもしれない。”何もしないをする”ということも、わかっちゃいるけど、やめられない。しかしながら、どうしたものか、わかっちゃいるけどやめられないということは、人間の本質をとてもすっきり表している。

やさしさという見えない翼をつけて、高く空を飛ぶように俯瞰して周りを見れば、たくさんのやさしさを受け取るだろう。そして自分自身がたくさんのやさしさを与えることができることにも、気付くだろう。

それでも「知らない人には声をかけない」とか「仕事の時間を無駄にはできない」とか”ねばならぬ”などない世界から分けられた無数の理由を創造することができてしまうから、僕らは「わかっちゃいるけど、やめられない」

諦めるの語源は明らむ、つまり明らかにする、ということにある。

仏教では、物事のことわりを明らかにした上で、そのことわりに合わないことを捨てるというような意味で使われる。

捨てられず、抱えてしまっているものの重さを静かに感じてみよう。

そしてソウゾウしてみよう、その重さから解き放たれて、軽やかに空を飛ぶ自分を。

インタビュアー:
体験作家
雨宮優

インタビュイー:
熊本にある1万坪のネオコミュニティー〝エコビレッジ サイハテ〟発起人にしてマルチアクセスアーティスト。
工藤シンク
 

歌手
永原真夏

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パナソニックセンター東京では、2020年11月3日(火)~12月27日(日)までの間、SDGs達成に向けた取り組みの一環として、オンラインキャンペーン「ソウゾウするやさしい展」を開催しています。

「ソウゾウするやさしい展」は、大喜利で楽しむ、物語にして伝える、カタチにするという3種類のコンテストを通じて、投稿する参加者がソウゾウしたやさしさが作品となるオンライン展示会です。やさしさをアウトプットするというアクションそのものが社会課題の解決に繋がる一歩であると捉え、SDGsの達成に貢献していくことを目指しています。

ソウゾウするやさしい展:https://awrd.com/sozo-yasashii/

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