-
作品タイトル(日本語)
Image Cemetery
-
作品タイトル(英語)
Image Cemetery
-
制作物のコンセプトを記載してください。
この作品は緊急事態宣言下の京都でのレジデンス中に制作を始めた。街の中で異物な自分を感じ、自分の作品を勝手に街に残す事で自分の痕跡を残す事を考えた。COVID-19以降、オンラインでは満足できない物理的な欲望や、死への恐怖から自分の死後の作品の行方について思いを馳せた。
現代の魂はインターネット上に宿る。Facebookでは故人のアカウントの誕生日が未だに祝われ、Twitterでは亡くなった友達のフォローを中々外せない。画像は死後ようやく存在感を放ち、スマホの中には使われなかった何テイクもの画像が溜まっていく。データは無限に感じるが、記録媒体の寿命によって消えてしまうのだ。それらは昔のアルバムの様な重さと存在感が無く、儚いものだ。私は、自分の霊的な分身や痕跡が欲しくなった。これは、メディアアート作品を制作してきて複製可能な作品に対して自分が感じていた虚しさにも繋がっていた。
プリントされているのは、自分の肌だ。私は自分の肌へのコンプレックス、成長と共に感じる死への恐怖から、毎日自分の肌日記をスキャナーで記録している。Instagramの様なSNSや化粧アプリで自分をいくらでも編集できてしまう社会で、生の自分の身体が恋しく残したくなったからだ。
そして、デジタル画像と生の身体を自然物に憑依させる事で、人間の有限の時間から自然の時間軸に魂を置きたかったのだ。これは自然葬に近いのかもしれない。お地蔵さんがどんなに摩耗して輪郭が見えなくなってもそれは地蔵であり、墓石の様な魂の記録媒体としての側面が石にはある。仏教では、石は現世の象徴として描かれる。それは、身体は魂を入れるだけの借り物であり、魂は天に上り、現世は重力に逆らう世の中であり重力の象徴である石は現世の象徴なのだ。これに過去の自分を日記の様に憑依させる事は、いくつもの過去の自分を現世に残す行為で、自分の、現世と過去への執着の現れになっていた。インターネット社会の中で自分のアイデンティティを、結局、身体に見出し原始的な自然物に回帰する事は、COVID-19で便利になりすぎたインターネットに辟易してしまった時代の、ある種のインターネットの限界とも言えるのかもしれない。
植物のバージョンでは画像を植える事で、まるで画像が生きているかの様な生を与える事を試みている。そしてそれは人間よりもすぐに死んでしまい、愛でる様な感情が生まれた。 -
制作物のコンセプトを記載してください。(英語)
-
作品の素材・仕様
20cmの石が100個、生きている植物と枯葉、300kg~1tの岩
-
作品の素材・仕様(英語)
-
作品のリファレンスURL
https://wired.jp/2021/08/03/jack-into-the-noosphere-report/
-
作品の映像URL
https://vimeo.com/587758251
-
公式サイト、もしくはSNSのURL
https://drive.google.com/open?id=1_vhm716KVuljKaaDMmTChxJKlbL0i7k9
-
特別賞のテーマにどう作品が関連しているか説明文を記載
便利になりすぎてもInstagramやスマホなどの規定やフレーム、トレンドにとらわれずに自分の身体を唯一のものとして記録したかった。
現代の顔という象徴は抽象化してきている。カメラが高解像度化しているにも関わらず、VRやiOS12でバーチャルアバターがデフォルトに。セルフィーはInstagramのようなフィルターアプリや化粧アプリで白飛びさせている。そんな時に自分とは何か、体の意味は何なのか、身体に物質的なアイデンティティを求める自分がいた。プリクラやサラリーマン等の日本の特徴は、自己を大衆の中に溶け込ませ安心させていた。人間さえ大量生産のような、見落とせない日本の姿だ。
- 434
Image Cemetery
3年分の自身の顔を石にプリントし、SNSなどで消費されがちなデジタル画像を墓石の様に憑依させ唯一のものにして感触する作品。
Instagramやスマホなどの規定やフレーム、トレンドにとらわれずに自分の身体を唯一のものとして記録したかった。
Instagramやスマホなどの規定やフレーム、トレンドにとらわれずに自分の身体を唯一のものとして記録したかった。