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キルトピン『翅一片』

イラスト / その他
翅一片(はねひとひら)

一九一三年の夏、昆虫学者長久保伊佐治とその一行が南米で消息を絶った。
一行が目指したのは大河流域に広がる密林、その奥深くに住むとされる少数民族の村であった。

長久保が探していたもの、それは幻の蝶である。
生い茂る草木や纏わりつく毒虫に阻まれたその村に言い伝えられている蝶の群れ。
外国人にとって非常に難解な言語で「連れ去る者たち」の意味の名を持つ。
それらの奇聞に魅せられた長久保自身は「幽玄蝶」と呼んでいた、と学者仲間は語ったそうだ。

一行が予定日に戻らぬことを憂慮し、捜索に出た現地の警察官数名と領事館職員は、
皮肉にも大群の蝶を目にすることとなった。
一行が乗っていたであろう船が泊まった粗末な船着き場付近を、
捜索隊の船とすれ違いに舞って行ったのだ。

後の聞き取り調査で、どのような蝶だったのかとの質問に対して、職員はこう答えた。
「あまりに突然で呆けてしまったのか、よく覚えていません」
少しの間を置き、口重く続けた。
「ただ、今にして思うのですが、すれ違っただけだったから良かったのかと。
追いかけてしまったら、帰れなかったのではないのかと」

何度か目的地であったとされる村にも捜索が及んだが、これといった足跡も証言もなく、
長久保一行の消息は不明のままとなった。
やがて文明化の波がその村にも押し寄せると、伐採された密林とともに村は消えた。
さらに時は流れ、都会へと移り住んだ元村人の遺品の中に蝶の後翅が見付かった。

それが、この「翅一片(はねひとひら)」である。
本品は複製を透明樹脂に閉じ込め、手軽に持ち運べるよう装飾品とした。
蝶の群れは仲間の死骸を恐れて寄り付かない、との怪談めいた噂話を参考としている。
当然のごとく、長久保の「幽玄蝶」かどうか定かではない。

実物は現地大学に保管されている。
研究対象にもかかわらず担当者が次々と替わり、いまだ分類されず名称もつかないままである。

※人物名称等すべて架空のものです。

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