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ペンダント『キメラ三種』

イラスト / その他
キメラ三種

それは、昆虫学者長久保伊佐治が南米で消息を絶つ一九一三年、
彼の地へ赴く三か月程前。
気の置けない友人や学者仲間等が、長久保邸にある大木の薄墨桜を目当てに、
酒を持って押し掛けた時のことである。

歓談の最中、長久保が「まだ、どこにも発表していないのだが」と前置きした上で
手にして見せたものは、三種の蝶の標本であった。
アゲハチョウ科、シロチョウ科、シジミチョウ科だったが、
四枚ある翅はそれぞれ違った色形をしていた。
どの翅も実在の蝶と酷似しているとわかる者や、
普段は鳴りを潜める長久保の茶目気を知る者は、
ペテンだ眉唾物だとはなから疑い笑っていた。
だが、残る数人は長久保の真面目腐った顔付きを見てあっさりと信じてしまい、
中には表へ飛び出して新聞記者を連れて戻った者までいた。
さすがの長久保も度が過ぎたと観念し、全員に平身低頭したが、
怒りの収まらない者からは
「たかが虫とはいえ、死骸を切り刻んで遊ぶとは気狂いのすることだ」
「まったく悪趣味にも程がある。まるでキメラではないか」などと散々なじられたそうだ。
何とも不穏な花見となったものである。

当然、長久保の真意は定かではない。
通常の標本を作る際、出来栄えを想像して使えないものをこのような形にしたのであろう。
ただそれが、棄てられるだけの蝶を気の毒に思ってか、それともほんの遊び心からか、
はたまた自らの理想を求めた上の、ある種芸術的探究心でも芽生えてのことなのか。
今となっては誰にもわからないのである。

長久保が消息不明との第一報が日本に届いた頃。
邸宅の庭先、垣根越しに三種の蝶がひらりひらりと戯れている場面が
近所の人間に目撃された。
その者は「四枚の翅がまったく違う色形だった。家族に言っても信じてもらえなかった」為、
長らく黙っていたのだ、と後に語っている。

天涯孤独で見寄りのない長久保の邸宅は、ほどなくして売りに出された。
所蔵していた数々の書物や標本、研究資料は大学側が引き取った。
だが、その目録に先の三種の蝶の標本の名は記されておらず、
標本そのものの行方を知る者は誰もいない。

この『キメラ三種』は、友人知人の日記や数々の証言をまとめた関係書類をもとに、
イラストにより再現したものである。
デザインの都合上、実際の科の別による大きさの差はほとんどなくしているが、
酷く奇怪で珍妙な具合はおわかりいただけると思う。

※人物名称等すべて架空のものです。

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