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不気味な記憶 眼球について
高校生の時、生物の授業で、解剖の授業をやらされた。当時好んで観ていた、刺激の強いドラマや映画のせいか、そのようなものにあまり嫌悪感を抱くことはなく、人生で初めての解剖の授業を楽しみにしていた。豚の目を生徒二人に一つずつ渡され、持たされた小さなはさみで、慎重に切り分けていく。水晶体、角膜、ガラス体、虹彩、絞られた盲点から伸びる視神経束。どの部分も神秘的で、目の前にあるこれらの仕組みで、いつも見ている景色が脳内に投影されているのだと考えると、興奮がおさまらなかった。そしてこのばらばらの所謂肉の欠片が、生命体の一部として機能していたのだ。その時眼球の中は一体どのような世界だろうかと想像した。水晶体を通り抜けた光は、ガラス体で満たされた真っ暗な内部を照らし、網膜には外部の像が上下左右逆さまに映し出される。健康な目であれば、ゼリー状の物質で浸っているとは思えないほどに、澄んで見えるのだろう。海中洞窟に一筋の陽光が差し込んだような、幻想的な光景であるに違いない。細胞のカスがふよふよと漂っているのなら、それらは像を反射して、ちらちらと美しく光るのだろう。いつかどこかでみかけた、子宮内で羊水に浸る胎児を映した映像を、ふと思い出す。そうして想像を膨らませているうちに、授業は終わった。その日の解剖を期に、わたしは目というものに対して異様に興味を持ち始めた。