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不気味な記憶 呼吸する樹
五歳から七歳まで、アメリカに住んでいた。二年目に移り住んだ家の庭には、大きな樹があった。背は高く、大きな虫こぶやごつごつとした樹皮から察する限り、かなり老いた樹であったように見えた。家に越してきた時から、その枝には太いロープが一本ぶら下がっており、私はそれを気に入って、ターザン遊びをしたものだった。親に怒られると、黙って庭に出てまた樹の所まで生き、家出の真似事をするのだ。しかし、一人で樹の元にいると、そのいびつな姿がなんとも不気味に思えてすぐに心細くなり、家に駆け戻る事がしょっちゅうだった。ある冬の朝、早起きで一人でいる事が苦手だったわたしは、目が覚めてからそそくさとベッドを出た。そしてリビングからふと庭を見ると、まだ薄暗い空気の中で、まるで幽霊が取り巻いているかのように、例の樹が白いもやに包まれている。親の手を引き、窓辺まで連れて行くと、「今あの樹は呼吸をしていて、外の空気よりも暖かい水蒸気が出ているから、あのように見えるんだよ。」という。その頃のわたしにとって、樹というものは、ただ地面から水を吸って生きているだけのものであり、「樹が呼吸している。」ということ自体が、とてもではないが信じられなかった。その神秘的な息に触れてみたいとも思ったが、窓を開けて近寄ることは出来ず、外の空気が次第に暖かくなり、もやが見えなくなるまで、しばらく窓越しに眺めていた。