AWRD編集長・金森 香が気になる気になるアワード受賞者や主催者などに会いに行く連載企画がスタート。第1弾として話を聞きたいと声をかけたのが、「writtenafterwards」のデザイナー山縣良和だった。
メッセージ性の強い日本人離れしたダイナミックな作品を作り続けるファッションデザイナー、そして今や優れた教育者でもある、山縣良和という人物がいる。彼に大きな影響を与え続けているのは、ITS(INTERNATIONAL TALENT SUPPORT)というアワードだ。
ファッション業界にいればその名をきくことは近年多くなっているが、それも、彼が運営するインディペンデントな「私塾」である「ここのがっこう」からの受講生らが続々受賞しているのがきっかけでもある。彼の人生や考え方、また学校運営に、どのようにこのアワードがどんな影響を与えているのか、今日は話を聞きにいった。
—(金森香・AWRD編集長、以下省略)いきなりですが山縣さん、というと、ITSという権威あるグローバルなファッションアワードを日本人として開拓しまくってるパイオニア、という印象があります。そもそもなんでいきなりそんな世界的なアワードに応募したんですか?
(山縣 良和、以下省略)ITSが始まって確か1年目の頃、ファッション雑誌のi-Dに何ページもの特集が組まれていて、こんなコンクールがあるんだ!と驚いたんです。当時の審査員に、世界的に有名なスタイリストのイザベラ・ブロー(アレキサンダー・マックイーン才能をいち早く見出した有名なファッションエディター)やファッションジャーナリストの平川武治さんなどが並んでいて、衝撃を受けたのを覚えています。こんなに自分たちが読んでいるメディアにインパクトがあるコンクールはこれまでなかったと思い、学生時代(というか休学中)に参加しました。
—そうだ。知らない人もいるかもしれないので、ちょっとITSについて教えてください。
ITSは、毎年イタリア・トリエステで開催される世界的なファッションアワード です。
国際的に活躍しているクリエイターやジャーナリストを審査員に迎え、受賞者は賞金のほか、世界で活躍する機会が与えられます。僕の時は、募集部門はファッションだけでしたが、今はジュエリー、アクセサリー、アートワークなどの領域が広がっています。有名になったデザイナーでは、Balenciaga、Vetementsのアーティスティックディレクターのデムナ・ヴァザリア等を輩出しています。
2002年にスタートし、今では若い才能を発掘し支援するための最も評価されたプラットフォームの一つとして発展しています。Diesel、Maison Margiela、Marniなどを抱えるOTB GROUPがメインスポンサーとなり、地元の企業はじめ、さまざまなスポンサー企業が毎年入っています。
—ふむふむ。ありがとうございます。で、話を戻しますが、最初に挑戦したアワードがITSで、しかも賞までとったんですかね!?
はい。僕もびっくりしました。
留学していたロンドンのセントラル・セント・マーティンズを卒業する1年前(2004年)、大学休学時に応募したんですが、ジョン・ガリアーノでインターンをしながらだったので、ポートフォリオ制作は夜自宅に帰ってから作っていました。
限られた時間の中だったので、作品の提出がギリギリになってしまって、、。それでもポートフォリオを抱えて、パリからの夜行列車に乗ってトリエステに持って行っていきました。結局、提出は締切後になってしまい心配だったのですが、ノミネートされました。笑
ー実際どんな体験でしたか?
めっちゃくっちゃ緊張しましたよ。プレゼンテーションが5分くらいあるのですが、名だたる審査員の前で行うんです。しかも英語でのプレゼンが求められます。その時は片言でなんとか乗り切りました。そのあとファッションショーが行われます。9ルック作りました。
僕の参加した2004年ではファイナリストが20人くらいいたと思うのですが、グランプリだったのが、デムナ・ヴァザリアです。
僕は3つの賞をもらいました。「サスティナビリティアワード」、「ベストポートフォリオアワード」それと、審査員の意見が割れたので急遽作られた「スペシャルアワード」という賞です。
ーすごーい!山縣さんのための賞ができた!どんなかんじでしたか?
嬉しかったけど、実感がなかった。ガムシャラだったから。
何が何だか、感覚がなくなってました。
ー受賞したあともITSと関わりはあるものなんでしょうか?
未だにメールもくるし、その後もずっとコンタクトが続いています。
彼らは情熱的で、寛容でありながらもすごく誠実です。事務局がとにかく素晴らしい。
仕事を紹介してくれたりもします。僕が参加した年の審査員に、KENZOのディレクターのアントニオ・マラスや、ラフ・シモンズなんかもいたんですが、アントニオ・マラスからは、後日仕事しないかという連絡がありました。そしてその年にフランスのポンピドゥー・センターに飾るKENZOのクリスマスツリーのデザインを任されたんです。
ー学生時代にそういった仕事が!
学生だから、プロだから、ということで区別せずにアントニオ・マラスがディレクションをしているということがすごいと思いました。ちゃんとクリエーションありきでジャッジしている。僕もそうでありたいと、このとき思いました。
ー 日本に戻ってから自身のブランド「writtenafterwards」のほかに、ファッションの教室「ここのがっこう」も立ち上げましたよね。
日本に帰ってきて、学校の仕事をいくつか頼まれていたんです。僕は日本と海外の両方の教育を受けてきているので、日本の教育方針に、世界との価値観の違いを感じてきたんです。
でも、そこは既にある教育方針なので何かやろうと思っても限界がある。だったら求めてくれる人に向けて伝える場所を作ってしまおうと、学校を立ち上げたんです。2008年に設立して今年でもう10年たちます。
今はプライマリーコース、アドバンスドコース、ファッション&ニュークラフツコース、ファッションドローイングコース、レクチャーコースとさまざまな学部があります。
ー 「ここのがっこう」ではITSに向けてなにかアドバイス、サポートをしているのですか?
設立後、1年くらいした頃から、ITSやフランスのイエール等の世界コンペティションを目指したいという学生がポツポツでてきたんです。
じゃあ、挑戦してみようという流れになり、そういう個々にアドバイスができるようチュートリアル形式で行うアドバンスドコースを、アントワープを卒業した友人の坂部三樹郎くんにも参加してもらい、立ち上げました。
しかし、最初はアドバイスを行う僕も、現実味がなかった。
そもそもITSって条件として、学士か修士か、最低でも数年くらいファッションデザインを勉強した経験がある人が応募するアワードなんです。
でもその当時「ここのがっこう」は半年で月2,3回しか授業がないし、限られた時間の中でチャレンジすることになるので、ITSを目指そうって自分で言ってるにも関わらず、馬鹿げたこと言ってるなと。
正直、やってる側も半信半疑だったのですが、「世界を目指してみよう!」と言っているうちにどんどんみんなのモチベーションが高くなってきました。それが、開けてみたらいきなり日本初ノミネートで初グランプリまでいってしまったんです。なので、現実が僕らの想像を完全に超えてしまった。
ーひょ。
で今思い返すと、やっぱりコンクールに参加するということが、作品の完成度をあげたんだと思うんですよね。僕は世界に挑戦することは基本的には成長につながるいい機会だと思ってるので。
“世界”という、漠然としたものにまずは向かってみるんだけれど、それは世界の中で、自分の作品がどう映るか、客観視できる機会なんですよね。
日本で学ぶ環境で、海外の人に作品を見せる機会というのはあまりないし、そういう意味で、僕は薦めています。
ー世界を目指そう!で作品も変わったんですね。
とても変わりました。「世界を目指そう」て意識は、すごいんですよ。だいぶモチベーションが上がるし、客観性が生まれるからか、作るものが結果としてとても変わりました。
ーコンクールのとき以外では、具体的にどのようにその緊張感を感じさせるようにしているんですか?
世界の状況を紹介しています。こんなデザイナーがいるよ、こんな価値観があるよ、学生がいるよなどです。ライバルを知るということも大事です。具体的な目標ができたことで、学生の意識も変わりました。
ー今後「ここのがっこう」をどうしていきたいですか?
あまり大きくしたいとは思ってませんが、充実したプログラムにしていきたいと考えています。セント・マーティンズとのプロジェクトを進めていたり、南カリフォルニア建築大学からも共同授業のオファーをいただいたりと海外との連携が増えてきたので、海外とのネットワークをしっかりしていき、学生同士の交流なども行っていきたいです。
国内では、ファッションをアカデミックに学べる環境を整える活動を行っていきたいと思っています。それには既存の教育機関との連携が不可欠です。
ー今やどんどん受講生も増えていますが、彼らに一番伝えたいことは何ですか
自分の好きなことであり、自分のできることで、他人が求めることを、見つけることですかね。
ーファッションデザイナーと教育者としてのバランスは?
両輪ではあるんです。表現方法が異なるだけとととらえています。「装うことの愛しさを伝えること」が大きく自分のなかの上位概念としてあり、「ここのがっこう」でそれを学びとして伝えているし、「writtenafterwards」では自分の表現として伝えています。
両方あることが自然と捉えたいですね。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」とか言いますが、二兎と捉えなければいいんじゃないか?と考えてます。
ー二つが一つの根っこのものなんですものね。なるほど。最後になりますが、アワード挑戦者へむけてのメッセージをお願いします。
アワードに捉われすぎるのも危険なんですけど、一つの入り口として自分の価値を広げるチャンスをくれる場所として捉えるのがいいんじゃないですかね?
そこで日本や海外の作品だったり人と出会う機会があるので。その出会いが一番重要じゃないかと思います。
—山縣さんに言われると大変説得力があります!今日は本当にありがとうございました!
本棚には制作にインスピレーションを与える書籍がズラリと並ぶ。「ここのがっこう」に持って行って見せることも多い。
山縣 良和/Yoshikazu Yamagata
2005年セントラルセントマーティンズ美術大学卒業。 在学中にジョン・ガリアーノの デザインアシスタントを務める。 インターナショナルコンペティションITS#3 にて3部門受賞。 2007年リトゥンアフターワーズ設立。2008年9月より東京コレクション参加。 2009年オランダアーネムモードビエンナーレにてオープニングファッションショーを行う。 2011年オーストラリア、オーストリアにてファッションショーを行う。 2012年日本ファッションエディターズクラブ新人賞受賞。 2014年毎日ファッション大賞特別賞受賞。 2015年日本人として初めてLVMHプライズセミファイナリストに選出。 また、ファッション表現の実験、学びの場として、「ここのがっこう」を主宰。
http://www.writtenafterwards.c...
現在ここのがっこうでは体験講習参加者&説明会を募集しています。
・2018年4月21日(土)13:00~17:00
・2018年4月28日(土)13:00~17:00
詳細とお申し込みはOFFICIAL WEB SITEをご確認下さい。
後記
今日は、山縣さんのスケール感と高い志、勘の鋭さに少し接することができた気がします。そして、アワードを目指すことこそが広い視点をもたらすということ、アワードが表現者のスタートをバックアップしているということ、また、一つのアパレル企業を中心として多様な企業がそのようなアワードを支えているというお話に、たいへん勇気付けられました。そんな素晴らしい「仕組み」や「場」が作れたらいいな〜〜。誰か日本の企業さん、はじめてみませんか?
Written by
kanamori kao
AWRD編集長
出版社リトルモア、ファッションブランドシアタープロダクツの創業プロデューサーなどを経て、AWRD編集長に就任。主婦・NPO法人ドリフターズ・インターナショナル代表・「悪魔のしるし」代表代行・マクラメ部部長など兼務。 After working fora publishing house LITTLE MORE and acting as a founder and creative Producer of a fashion brand THEATRE PRODUCTS, Kao is now Chief Editor of AWRD. Housewife, Director of the NPO Drifters International, Acting Director of Akumanoshirushi, Director of Macramé Department, among others.