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[前編]素材から捉えるウェルビーイングとは。「Material Driven Innovation Award」審査会レポート

2022/05/19(木)

レポート

ロフトワークが運営する、素材をテーマにしたクリエイティブプラットフォーム「MTRL(マテリアル)」が実施した、素材の新たな価値を探るマテリアルアワード「Material Driven Innovation Award 2022(MDIA 2022)」。約1ヶ月半の応募期間で102点の応募が世界中から集まりました。厳正なる審査のもと、選ばれたマテリアルは、大賞1点、ファイナリスト3点、奨励賞1点、渡邊淳司賞、堀内康広賞、井高久美子賞、小原和也(弁慶)賞の合計9点。

身体的にも、精神的にも、社会的にも満たされた状態である「ウェルビーイング」の考え方を、マテリアル(素材)視点で捉えたとき、私たちのウェルビーイングにどのように結びつき、どう貢献していくのでしょうか?前編では、オンラン審査会でディスカッションされたマテリアルの「ウェルビーイング」についての可能性をレポートし、後編では、受賞マテリアルへとフォーカスしていきます。

「Material Driven Innovation Award 2022」 オンライン審査会(国内実施) 参加者

  • 渡邊 淳司/NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員
  • 堀内 康広/トランクデザイン株式会社 代表取締役/クリエイティブディレクター/デザイナー
  • 井高 久美子/インディペンデント・キュレーター
  • 小原 和也(弁慶)/MTRL事業責任者(審査員&ファシリテーター)
  • 関井 遼平(AWRD/審査会運営)
  • 松田 絵里 (キャロル)(AWRD/審査会運営)
  • Christine Yeh(AWRD/審査会運営)

バックグラウンドの異なる審査員が捉えるウェルビーイング

審査会では、各審査員が事前に審査したエントリーをピックアップし、そのマテリアルをオンラインでディスカッションすることから開始しました。さまざまな領域の第一線で活躍する審査員は、どのようにウェルビーイングなマテリアルについて向き合ったのか、自身のバックグラウンドを語ると共に審査への向き合い方について語りました。



井高 久美子/インディペンデント・キュレーター

審査員の一人、井高久美子さんは山口情報芸術センター[YCAM]で展覧会や作品の企画を行い、現在は、アート・アンド・テクノロジーの分野を中心に様々な領域で展覧会の企画を担当。京都・西陣織の細尾が運営するHOSOO GALLERYでは、織物をメディアとして捉えた展覧会を企画しています。近年携わった展覧会は「白の気配」(2021)、「Ambient Weaving -環境と織物」(2021)、「Quasicrystal」(2020)など、織りの構造から織物を構築していくということをテーマに研究開発事業を行っています。

井高:私が学生の頃勉強していたのは、映像表現やインタラクティブアートみたいなものが主流で、ホワイトキューブならぬブラックキューブという、閉ざされた環境の中で展開されてきたものが中心でした。しかし近年では、マテリアル(素材)であったり、モニターの世界や映像表現の世界を超えたところで、現実世界と接続させていくことに興味を持ち、歴史、フィールドワーク、コミュニティのリサーチなどを積極的に実践してきました。そういう背景の興味にもとづき、様々なリサーチをベースにしてアーティストとコラボレーションすることを独立後も行なっています。

今は愛知県に住んでいますが、山口や東京にも住んでいたこともあり、日本の中でも多様な価値観や地域性を肌で体感してきた経験があります。また、東南アジア圏にも縁がありまして、東南アジアでのリサーチなどを通して、色んな角度から社会的な価値というのを見つめ直す機会をたくさん得てきました。今回のアワードでも、多角的な視点で皆さんとディスカッションさせていただければと思います。



堀内 康広/トランクデザイン株式会社 代表取締役/クリエイティブディレクター/デザイナー

二人目の審査員、堀内康広さんは、2009年、兵庫県神戸市に「TRUNK DESIGN」オフィス&ショップをオープン。地場産業や伝統工芸のプロデュースやブランディングのディレクションやデザインを幅広く手掛けています。2011年には兵庫県のモノづくりを紹介する「Hyogo craft」を立ち上げ、アパレル・お香・ステーショナリー・テーブルウェアなど自社でプロデュースし、8ブランドを展開。現在は兵庫だけではなく、日本全国の地場産業や伝統工芸のプロデュース・ブランディング・国内外の販路開拓や地域ブランディングなどを一貫して支援しています。

堀内:地場産業との出会いは、地元にある火を付けるマッチ工場と出会ったのがきっかけでした。そこから商品開発のお手伝いをしていて、マッチとお香が合体した『hibi』という商品を2015年に発売しました。この商品は、グッドデザイン・ベスト100やグッドフォーカス賞、台湾のゴールデン・ピン・デザインアワードなどを受賞しています。そのほか2011年から、兵庫県のものづくりをPRする事業を継続して行なっています。

今回の審査では、アワードの審査基準である3つのテーマ(機能:素材の持つ可能性/意味:豊かさに貢献していること/物語:ストーリーが一貫していること)の中で、どれくらい製造できるものなのか、需要と供給のバランスがどうなのか、使う人がより自由に使えるのか、という視点で審査していきたいと思っています。

渡邊 淳司/NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員

三人目の審査員は、渡邊淳司さん。NTTの研究所に在籍し、人間の触覚のメカニズム、コミュニケーションに関する研究を人間情報科学の視点から行いながら、人と人をつなぐウェルビーイングな社会を実現する方法論について探究されています。

渡邊:まず、私が研究しているウェルビーイングについてのお話をさせていただきます。ウェルビーイングは、正解がない部分も多かったりします。ただ、私がウェルビーイングを考える上で大事だなと思っているものに、「内在的価値」という概念があります。モノが何か機能があるから価値があるとか、人が何かできるから価値がある、ではなく、それがあること自体に価値を感じることです。例えば赤ちゃん自身は、機能という意味ではできることはわずかですがその存在だけで人を幸せな気持ちにさせますよね。

ウェルビーイングは、GDPのように経済指標で計れるものではなく、また、等価に交換できるものだけではなく、それぞれが持っている価値みたいなものを、それぞれの在り方で尊重し、持続的に社会をつくっていきましょうという、ある種の運動みたいなものなのかなと僕は思っています。

もう少しウェルビーイングのお話をします。主観的によい状態やよい時間というのがどんなときに起こるのかというと、自分自身に関することもあれば、家族や親密な人、社会の中で新しい価値をつくるなどという社会との関わりの中で生じるときもあります。更に、自然やもっと広い何かとの関わりというような感じで、色んなレンジがあると考えています。


今回のマテリアル(素材)は、元々は自然だったり、もっと広いところに存在していたものが、一度人の前に現れて、またそれが自然に還ることもあるし、人と人を繋いだりすることもあって、広く、色んなウェルビーイングに関する要因みたいなものが出てくるものだな、と思いながら見ていました。

自分自身から、社会との繋がり、自然との関わりまで含めて、今回のウェルビーイングというワードは広い意味を含んでいるんじゃないかなと思いながら、審査に参加しました。

マテリアルからウェルビーイングを考える

本アワードの企画者でもある小原 和也(弁慶)は、今回審査員と審査会のファシリテーターを兼任しています。

小原:堀内さんにお伺いします。地場産業を繋いでいくことを実践されている中で、いかにしてモノに新しい価値をつくることができるとお考えでしょうか。先ほど渡邊さんから「ウェルビーイングの要因分類」として図示いただいたように、モノ自体の価値がスケールしていくとき、そこにはどのような価値や要件があればいいのでしょうか。


堀内:やはり基本的に需要と供給のバランスだなと思っているんですね。世の中にモノがたくさんある中で、我々消費者は、モノを使う人間として選べる状態がありますよね。例えば普通の紙を選ぶのか、再生紙を選ぶのか、食材のロスから生まれた紙を選ぶっていう選択肢もある中で、少量しかつくられてないので人々の手に渡りませんということだと、選びたいのに使えない状態になります。

環境問題に取り組んでいるというプロダクトでも、量が作れないなら本当に環境問題に対してちゃんとアクセスできているのか、解決に向かえているのかという疑問も出てきます。また廃棄する場合にも、廃棄の仕方まで考えられているのかも考える必要が出てきます。作られるところから、使うところ、役目を終えた時の処理〜再生方法まで、結局、燃やして捨てるなら意味がない、CO2削減と言っているけど、廃棄するときにまたCO2が出るのではないかというところまで視野を広げることが必要です。

今回のアワードも、不特定多数の人が使いたいときに使える状況にあるものなのか、選べる状況にあるのかも含めて、ちゃんと循環できる形なのかを意識しながら審査していければと思います。

小原(弁慶): これまでの社会では、たくさんモノをつくる分、安く、広くアクセスできたみたいな状況はあったかなと思います。それがそもそもウェルビーイングなのかという話もあるかもしれませんが、これからの時代において、需要と供給のバランスを決めていくきっかけは、どんなものがあるのでしょうか。

堀内:パンデミックの影響によりこの2年ぐらいで急激に価値観が変わり、需要の実態が変わってきているんじゃないかなと思います。大量生産されて、安価に使えるようになって便利だっていう需要から、それを使うことによって社会貢献できるモノを使いたいとか、つくっている人がそのプロセスや価値の分かるモノを使いたい、食べたいとか、そういう事情が一気に前進したと思っています。

家の中で使っているモノや食べ物を考え直すきっかけができたり、ネットで買うことも含めて、どこの誰がつくっているのか分かるモノを買いたいとか、見た目が悪くても無農薬で作ってる野菜を生活に取り入れたいという、需要の感覚みたいなところが変わってきている気がするんです。そういう需要に対して応えられるのかどうかが前提かなと思っています。


小原(弁慶):堀内さんの需要と供給のバランスのお話を受けて、淳司さんに図示していただいた「I」とか「We」とか「Society」など、人の感覚や感情といったコミュニケーションが変容してきているのではないかというお話について、どう思われましたか?

渡邊:その観点で言うと、ステークホルダーとの関係性が長く見えている感じがするんですよね。どういうことかと言うと、一回のインタラクションだけじゃなくて、生まれたとこから使って、その先も含めて、ステークホルダーの人たち全てにとっての価値を視野に入れるという部分があるのではないでしょうか。その選択肢をちゃんと保持した上でうまく流通するようなバランスをどうとるのか、という話なのだという気がします。

僕の場合、触覚という感覚に着目したときに、目の前のモノや人と繋がる、みたいなところから始まっているのですが、逆にものづくりをされている方の、原料があって、それがどういうプロセスで流れていくのかという視点は、異なる方向から同じところを見てる部分もあるのかな、なんて思ったりしました。

小原(弁慶):ありがとうございます。淳司さんには、ステークホルダーの関係性から、堀内さんからはこれからの需要と供給のバランス、というお話がありました。井高さんは、伝統の産業を新しい技やテクノロジーでどう未来へ繋げていこうとされているのかという視点から、今回の審査をどのように考えているのか、お聞かせいただけますか。

井高:私はアートに携わっている人間で、アートを今回のアワードの中に位置付けるとすると大変難しいというところがまずありました。アートはパンクであり、常に社会のカウンターであるべきという考えが私にはあって、社会の大きな流れに接続しつつも、ある意味では自律した価値観を作っていかなければいけないし、提示していかなければと考えています。

私のなかでは、ウェルビーイングな状態とは、共同体全体の価値観と無関係ではないと思っています。例えば高度経済成長期にもし自分が生きていたとしたら、三種の神器が欲しいとか、結婚するには3Kがいいみたいな、そういう社会全体の価値観に自分の状態を持っていくことが「幸福」に繋がると考えると思うんです。現代では、共同体のあり方自体が変化していて、それに伴い、価値観も多様化していますが、それでもウェルビーイングな状態は、共同体全体の価値観と無関係ではないと思います。

そういう意味で、アートはウェルビーイングな状態に時には反する価値観に接続していかなきゃいけないという使命もあると感じているので、今回の審査をどのような視点で行えば良いのか悩みました。

伝統産業に関しても、「価値観の変化」を俯瞰できるという意味で関心を持っています。西陣織を例にあげると、近代の染織産地の中では一番早くフランスのリヨンからジャガード織機という、当時の先端的な産業技術を取り入れている歴史があります。

元々は特権階級の方たちに向けた完全なテーラーメイドでした。さらに元をたどると、西陣織の染織技術は、紀元前の前漢の時代に技術としてほぼ確立されていたようです。それが日本に伝わり、時代時代の技術や意匠性の流行によって変化してきたと考えられます。だから西陣織はこういう技術や素材を使わなければ西陣織と呼ばれないというものではないと思っています。イノベーティヴなところが面白くて、その時々の技術の粋を具現化したものが西陣織であり、伝統産業の面白さであると考えています。

私自身が現代のテクノロジーに着目しているのは、今の「粋=価値観」を考えたときに、テクノロジー自体が「現代社会」を表現するメディウムになりえるのではないかと考えています。織物もある意味で「情報媒体」だと捉えてまして、糸の素材や、染色や製織、デザインに至るまで、その時代の経済や地勢、文化的な要件と全く無関係ではいられないものなので、織物が今の社会においてどのような表現が可能かを試行錯誤することは、現代の価値観を模索する行為そのものな気がしています。

このようなアートのもつ自律した価値観だけではなく、時代や環境によって移りゆく技術や価値観という両面的な観点から、ウェルビーイングの定義を考えてみたいです。みなさんと議論していくなかで、私自身も探っていければと思います。

渡邊:ウェルビーイングに特徴的な視点でお話すると、自分で気が付いたり、自分の枠組み自体について理解する「セルフアウェアネス(自己認識)」という言葉が重要だと言われています。

表現が少し難しいのですが、ウェルビーイングが何点みたいな感じでウェルビーイングをスコア化すること自体が目的になると、だんだん、そこに向けて自分が最適化されていくようになります。要するに、自分が未来の道具のようにになっている状態で、それはウェルビーイングではないと僕は思っています。

ウェルビーイングは、自分にどう気付くかとか、自分の枠組み自体を理解しながら世界と関わりを持ち続けるプロセスの部分も重視されます。それはある種、新しい自分との出会い、自分の認知みたいな話が関わってくるなと、僕は思っています。

またその中で社会との関わりも大きな要素です。例えば病気になっている方のウェルビーイングって何だろうって考えるとします。病気の方にとって、健康モデルで考えると健康じゃないからウェルビーイングじゃない、みたいな言われ方になっちゃうけれども、そうじゃなくて、社会との関りでそれをどう認知するかということが重要です。

同じ病気でも、社会としてアクセプタブルなものもあれば、受け入れが難しい病気もあったりします。例えば骨折しましたっていうと、「大変ですね」で終わる可能性が高いんですけど、メンタルの話や、個人の特性の話になった途端に、社会の受容みたいなものが全然変わってしまうところがあります。こういった部分は、社会と個人の固有の関係性がとても重要なんですけど、人間を一般化して設計しようとすると、そこに向かって適合していくモデルになりがちで、それでいいのかなと思う部分もあります。

小原(弁慶):みなさん、ありがとうございます。井高さんの、アートをバックグラウンドとした恒久的な価値観や、時代や環境によって移ゆく技術や価値観という観点、また堀内さんの、需要の質の変容に基づく、これからの需要よ供給のバランスを問う態度、改めて重要に感じます。また、渡邊さんのコメントにある通り、個人の価値観に気づくプロセスや「セルフアウェアネス(自己認識)」と言ったその価値に気づくプロセス、また、その関係性が複雑に絡み合うスケールにおいて、ウェルビーイングを考える視点をいただきました。これは長い歴史の中である種の社会モデルとして形成されてきたものづくり、産業から生み出す「マテリアル」からウェルビーイングを考えていきましょうというのは、改めて意味があると感じられました。


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