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どの絶滅危惧空間を扱うのか(300文字以内)
本提案が対象とするのは、街から急速に姿を消しつつある「たばこ屋」である。
かつてたばこ屋は住宅地や商店街のいたるところに存在し、人々の日常に深く関わっていた。しかし喫煙率の低下や販売規制、コンビニエンスストアの普及などによって、その数は大きく減少している。
本提案では、たばこ屋を単なる販売店舗としてではなく、人々に固有の時間を提供していた場所として捉え直し、その文化的価値を可視化する。 -
なぜその絶滅危惧空間を扱うのか(600文字以内)
たばこ屋が失われつつある理由は明確である。健康問題や受動喫煙対策などにより、たばこそのものの社会的役割が縮小しているためだ。
しかし、たばこ屋から失われたものは商品だけだろうか。
一本のたばこが燃え尽きるまでの時間は、およそ数分である。しかしその数分は、時計が刻む均質な時間とは異なる。
待ち合わせの前に吸う一本。失恋した夜の一本。仕事を終えた後の一本。
同じ数分でも、その長さの感じ方は人によって異なる。
アインシュタインの相対性理論は、観測者によって時間が異なることを示した。一方、哲学者ベルグソンは、人間が体験する時間を「持続」と呼び、時計では測れない主観的な時間の存在を語った。
たばこは、その二つの時間観を日常の中で体験させる装置だったとも考えられる。
たばこ屋は物を売る店である以前に、人々がそれぞれの身体時間と向き合うための入口だったのではないか。
本提案は、その見えなくなった価値を再発見するために、たばこ屋という絶滅危惧空間を取り上げる。 -
どのようにその絶滅危惧空間を変異させるのか(1200文字以内)
本提案は、新たな建築やサービスを提案するものではない。
一枚のポスターによって、たばこ屋に対する社会の認識そのものを変異させる試みである。
ポスターには一本のたばこが描かれている。
その下には、
「これは時間である」
という一文だけが記されている。
本来、たばこは物質である。しかし本提案は、その物質を時間として読み替える。
人々はたばこを購入していたのではなく、その燃焼によって生まれる数分間の時間を購入していたのかもしれない。
たばこ屋は、時間を販売する店舗だったのではないか。
ポスターは商品説明でも広告でもない。
見る人に対して、「たばこ屋は何を売っていたのか」という問いを投げかける思考装置である。
絶滅危惧空間の保存とは、必ずしも建物を残すことではない。その空間が担っていた価値や役割を再発見し、社会に共有することでもある。
本提案は、たばこ屋を「時間を売る店」として再定義することで、失われつつある空間の新たな解釈を提示する。
ポスターは展示、公共空間、商店街、元たばこ屋の跡地などに掲示されることで、人々に身体時間について考える機会を提供する。
それは失われた空間を保存するのではなく、その意味を未来へ継承するための最小限の建築的介入である。
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時間: たばこ屋さんは何を売っていたか?
たばこ屋は、単にたばこを販売する場所ではなかった。
人は一本のたばこを吸うことで、考えごとをしたり、待ち時間を過ごしたり、感情を整理したりしていた。
一本のたばこが燃え尽きるまでの時間は一定ではない。急いでいる時は短く、物思いにふける時は長く感じられる。
つまり、たばこ屋が売っていたのは「たばこ」という物質だけではなく、人それぞれの身体によって変化する「時間」だったのではないか。
本提案は、失われつつあるたばこ屋を再解釈し、「時間を売っていた場所」として読み替えるためのポスター作品である。
人は一本のたばこを吸うことで、考えごとをしたり、待ち時間を過ごしたり、感情を整理したりしていた。
一本のたばこが燃え尽きるまでの時間は一定ではない。急いでいる時は短く、物思いにふける時は長く感じられる。
つまり、たばこ屋が売っていたのは「たばこ」という物質だけではなく、人それぞれの身体によって変化する「時間」だったのではないか。
本提案は、失われつつあるたばこ屋を再解釈し、「時間を売っていた場所」として読み替えるためのポスター作品である。
