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言語を超えた「感覚的コミュニケーション」の可能性/Mutsushi Asai - KUSE STORIES vol.1

2025/07/22(火)

インタビュー

次世代のクリエイターやイノベーターの「クセ=個性、創造性」を称える、アート&テクノロジーアワード「クセがあるアワード:塗」が開催中です。既存の枠にとらわれない発想や表現を“クセ”としてポジティブにとらえ、新たな価値の創出を後押しすることを目的に、本アワードは今年で2回目を迎えます。

第1回では、「( )と( )をまぜてみた」をテーマに「クセがあるアワード:混」が開催され、国内外から154点の多彩な作品が集まりました。選出された8組のファイナリストによる作品は、2024年夏に京都の「クセがあるスタジオ」で展示され大きな反響を呼びました。

今回、アワードにリンクした連載「クセが生む、創造のかたち(KUSE STORIES)」をスタートします。1回目のファイナリストの中からAWRD編集部が注目した3組のクリエイターにスポットをあて、作品の背景や創作に対する哲学、アワード参加を通じた体験に触れていきます。

1人目は、「クセがあるアワード:混」ファイナリストの Mutsushi Asai さん。

Metalium代表として活動するAsaiさんは、日常の中で無意識に捉えている“メタ思考や感覚”を「Metalium(メタリウム)」という独自の素材として定義し、それを軸に、日常使いできるプロダクトから、非日常的な体験ができるプロジェクトまで幅広い表現を展開しています。

現在は、2022年に立ち上げた、日用品と非日用品を作る制作スタジオ「Metalium llc」を拠点に活動の場を広げています。今回は、アワードに参加したことで生まれた創作上の変化や、受賞作品「Superposition machine」についてお話を伺いました。

「クセがあるアワード:塗」(応募は終了しました)

▼アワード詳細・ご応募はこちら

https://awrd.com/award/kuse-ga-aru-award-2

▼応募締切

2025年9月8日(月)12:00まで

ー本アワードの受賞作品「Superposition machine」は複数の人が同時に操作して「重ね合わせ」を体験する作品ですが、このコンセプトに込めた思いを教えてください。

実は共創するという事自体は本作品の中では主題ではなく、むしろ同時に情報を入出力することができる情報伝達システムのプロセスにおいて、共同を意識しなくても影響をし合う、感じてしまうという部分に着目しています。

その場に居合わせ意図を持たない行為において、一般的な共創行為ではない言語外にある感覚によるやり取りが発生していると考えています。言語外での感覚的情報のやり取りにおいては、同意があるないを関係なしに事象が発生し、強制的に入力・出力が繰り返し、行われる特異性があります。

波形の形状を図形に変換し投影するポリゴナルシンセのシステムは非常にシンプルで、技術的なバックグラウンドの撤去が必須であったことから選択しました。

作品を体験した人からは「Vibesって上がるとかじゃなくて感じるものだったんですね。」との反応をいただいたのが印象的です。

「Superposition machine」:音の波形を形としてヴィジュアライズするポリゴナルシンセサイザーシステムをベースに開発された多人数参加型のヴィジュアルシンセサイザー。7つのパラメーターを持つ専用コントローラーによって最大4人同時の操作することが可能となり、一つのコントローラーが形/音とリンクしているため、参加者が増える毎に形と音がリアルタイムに合成され、混ざりあった状態で描画される。

ー「クセがあるアワード:混」に参加された経験は、ご自身の創作活動にどのような影響を与えましたか?

知人からの紹介で参加しました。
本作品は大学院の修士研究のコア部分の装置として進めていたため、本アワードへ参加にあたりコンセプトの明文化など、その後の研究活動に大きなフィードバックを得ることとなりました。

ー作品を通じて、言語を使わずに人と人が影響し合う「感覚的コミュニケーション」の可能性を探られていますが、このテーマに関心を持たれた背景を教えてください。

不確かでありつつも確信めいた感覚であることを取り扱うことでの発見の楽しさがあります。一方で取り扱うことで逆に社会からの距離を感じ、その距離感から発見することの居心地の悪さに怒りの源泉を得ることがその場所にいることに繋がっているのかもしれません。
究極的には理解し得ないことを前提にすることで、わかりあえたというような錯覚に陥ることができてしまうのが技術であると考えています。

社会という幻想の枠を構成する生態を持つ人間の生活を構成する上で理解したという甘美な錯覚は必要不可欠であり、酒以前に発明された技術なのではないかと思います。

IAMASでの研究活動においても、本作品は中心的な存在であり、このテーマ、このプロセスなしには、自分の研究は成立しなかったと言えるほど重要なものです。


ーこの作品で生み出される図形と音は、その瞬間にしか存在しない一回限りのものですよね。このような保存されず「消えてしまうもの」の価値をどのように考えていますか。

「保存」による考え方は、それが誰かに共有されるものであるかどうかによって、その体験の保存性の議論は変わってくる可能性があります。
体験によって生じた感覚自体はどの部分に生じるものでしょうか?人でしょうか?記録でしょうか?泡ぶくのような感覚が再生されることが保存なのでしょうか?
その感覚は自転車の乗り方を覚えたあとに自転車の乗り方の方法はどこに保存されているか?というものと似ているかもしれません。

一回性や体験性という部分においてはあくまで事象として捉えるほかないと考えています。消えるもの自体には実は価値は無いのかもしれません。死んでいった人間は多分資本的な価値でいうと無に等しいと考えます。むしろ資本の使用がなく消失し、無に帰することであることが資本主義で構成される本国においては価値として捉えられるかもしれません。

ー今年のアワードテーマは「あそび心とAIで( )を塗り替える」です。AIと人間の関係性や、あそび心の価値について、どのようにお考えですか?

AIを仮に植物と置き換えた時に植物はコミュニケーションをするかどうか?という話になるかと思います。そもそも我々がわかりやすいように勝手な概念の中でその行為を呼んでいるだけのような気もしています。


あそびとは一体何でしょうか?あそぶことの根底には「余裕」が必要であると考えます。あそんでみた人の心理には、無想の隙があると考えられます。つまりあそびは動機にはなく、繰り返される所作の狭間に出現することかもしれません。
技術が錯覚するための術であるとすれば、AIとのコミュニケーションは錯覚を中心に問い直される可能性があります。関係性が発生していると感じるのはすべて気の所為であるとなるかもしれません。


気の所為で進んでいく関係性って片思いっぽいですね。無想とAIは相反する関係性であるとした時に、AIにおける無想がありうるのか?そんなことを考えてもいいかもしれません。
実際直感は、これまでの慣習や経験則による思考の方向性と捉えられると考えます。AIというものが実際に命を脅かす脅威となるとき、初めて脅威と立ち向かうために創作行為を行うのではないでしょうか?塗り替えられたからこそ塗り替えられる元を見たくなることが探究心を持ってしまった生物の性だと思います。性に従い塗り替えられたものを引っ剥がしてみるなどいかがでしょう。


ー現在取り組まれている最新の作品や活動、今後の展示予定などがあれば教えてください。

「Superpotision machine」の商品化に向けた取り組みを継続して行っております。
また、自社プロダクトの開発を行っており、デスクライト「曲がりを摘む」は発売から2箇所で個展形式の予約販売会を開催させていただき、たくさんのご予約を頂きました。
本プロダクトは「FLEXIBLE ↻ AWARDS」でのファイナリストへ選出されましたので、ファイナリスト展でも御覧いただける機会があると思います。

「FLEXIBLE ↻ AWARDS」ファイナリスト展

「FLEX(変化に適応するしなやかさ)」と「ABLE(未来を切り開く可能性)」が融合する創造的な作品を形式・ジャンル問わずに募集。一次審査を通過した5名のファイナリストによるグループ展を開催します。
https://awrd.com/award/flexible-awards-01/tab/exhibition

Mutsushi Asai/Metalium llc.

1991年大阪府生まれ。IAMAS 博士課程前期修了。Metalium llc.代表。日常生活の中から感じることのできる感覚的なことを取り扱い、ハードウェア/映像/体験など形態に囚われない表現方法にて不可視の感覚表現に取り組む。

「クセがあるアワード:塗」(応募は終了しました)

次世代のチャレンジをマクセルが支援する「クセがあるアワード」。2回目となる今回は、AIと人が共創した作品を募集するAIクリエイティブアワードとして開催します!AIと共創した作品であれば、形式は問いません。みなさまの応募をお待ちしています。

▼アワード詳細・ご応募はこちら

https://awrd.com/award/kuse-ga-aru-award-2

▼応募締切
2025年9月8日(月)12:00まで

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